まぶたがわたしを閉じてから -16ページ目

(前回のつづき)


先生、静電気にニオイってあるんですか?




まだ興奮覚めやらぬ教室で




飯田君の素朴な質問はいかにも場違いに響き




みんなの失笑を買った




電気にニオイなんかないわ、オマエの頭がニオうんちゃうんか?




小西先生は冗談めかして答えた




違いますよー香椎さんのアタマから変なニオイがするんですよー




香椎さんが反撃する




ちょっと何よーヘンなこと言わないでよーアンタの鼻の穴がクサいんじゃないの!




「鼻の穴がクサい」などと嗅覚そのものの成立条件を否定されては飯田君も後には退けない




何言ってんだよう、じゃあ先生、ボクの鼻の穴と香椎さんのアタマとどっちがクサいか、嗅いでみてよ!




「鼻の穴を嗅ぐ」ってどうすんのよう




香椎さんに味方する女子たちからすかさずツッコミが入る




鼻の穴と鼻の穴とを密着して先生とお互いスーハー嗅ぎ合うのはさすがの飯田君も及び腰だ




たとえ犬同士でもそんなディープな行為には及ばない




優等生の楠君が言う




ふたりがさー鼻にストロー片方ずつ突っ込んでニオイ嗅げばいいんじゃん?




飯田が鼻から息吐いて、先生が吸えばいいんだよ




おー、とみんなが感嘆の声を漏らす




楠君の発言はこんなときでさえ模範的だ




はいはい、もうエエから!次いくよー




小西先生が慌てて事態の収拾をはかる




これ以上珍問答を続けている訳にはいかない




このまま放置すれば授業が崩壊してしまう




今日は大勢の来賓が視察しているのだ




ここは何としても実験を成立させなければ!




だが時すでに遅かったのである




ふたりの席の周りの子たちが口々に、何かヘンなニオイがすると騒ぎ出したのだ




業を煮やした先生がつかつかと歩み寄る




オマエらアホなこと言うなよー




女の子に失礼やぞー




どれどれ




先生が遠慮がちに香椎さんのアタマへ顔を近づける




どこがクサいねんうわクサッ!




児童に対して「うわクサッ」などと、教育者にあるまじき発言だが




脊髄反射的に思わず口をついて出てしまった言葉だけに




それは並々ならぬ実感をともなって教室に響いた




男子たちがゲラゲラ笑い出した




香椎さんが机に突っ伏してワッと泣き出す




女子たちは囂々(ごうごう)たる罵声を先生に浴びせた




うわー先生泣かしたー!




教室は蜂の巣を突ついたような騒ぎになった




しかしこの喧騒の中、ボクは香椎さんにすまない気持ちで胸が痛んだ




実は香椎さんとボクは以前付き合っていたことがある




小五のヴァレンタインデーにボクはチョコをもらって




それからふたりは一応「付き合っている」ということになったのだけれど




周りの子たちに冷やかされてお互い気まずくなり、自然消滅してしまった




だけどまだお互いのことはかなり意識していたのだ




香椎さんは小さい頃からバレエを習っていてスタイルが抜群だ




美しいロングヘアがやや栗色を帯びているのは、オランダ人のお祖母ちゃんゆずり




それがどうだ




今や「ウンコ茶髪」の汚名を着せられようとしているではないか




ここはやはり元カレとして香椎さんの汚名を灌ぐべく




潔く自首すべきではなかろうか




いやそれとこれとは話が別だ




実を言えば自首どころかボクは仲間のふたりを切り捨ててでも




逃げ切れる方法はないものかと必死で考えを模索していたのだった




そのうち、なぜかクラスの女子のアタマだけから異臭がするということが判明するに及んで




教室はいよいよ騒然となった



「蜂の巣を突ついた」どころか




スズメバチの巣でドッヂボールをしているような騒ぎである




「なぜか」と言ったが実はボクにはその理由がわかっている




アタマから異臭がすると指摘された子たちの下敷きはすべて




切り抜きやメモを挟めるよう間がポケットになったタイプなのだ




クラスの女子のほとんどは、お気に入りのアイドルの切り抜きを下敷きに挟んでいた




汚物がこの隙間に挟まってしまうと




指で取ろうとしても奥へ奥へと食い込むし




かといって紙片を濡らしてはいけないので丸洗いもできず




結局ティッシュで拭うだけにして持ち主の机に戻したのだった




教室では女子たちが連鎖反応のように一斉に泣き出し




過呼吸で保健室に連れていかれる者も出る始末だ




今や6年2組は学級崩壊の危機に瀕していた




授業の継続を既に放棄した先生が、呆けた顔で立ち尽くす姿は




まだ三十代ながら初老の男性のようにも見えた




何ら危険性の認められない静電気の実験が、何故このようなカタストロフを招いてしまったのか




そしてその責任はいったい誰にあるのか




そのような詮索は今となっては無益であり、これ以上は語るまい




哀れな小西先生は




晴れの研修授業にて、極めて初歩的な実験にもかかわらず破滅的な失敗を仕出かし




「静電気は腐った卵のニオイがする」という非科学的な結論を導いてしまったばかりか




過呼吸による急病者3名を出すという惨事を招いた責任を職員会議にて追及され




校長に始末書を提出したそうである




香椎さんはショックのあまり、その後1週間ほど登校拒否した




そして次に学校へ姿を現したときには、見事なまでのキャラ変化を遂げていたのである




腰まであった美しい栗色の髪はバッサリと切り落とされ




まるでモンチッチのようなベリィショートになっていた




さらに習い事もバレエに加えフルコンタクトの実戦空手を開始し




ちょっかいを出す男子たちにはバレエ仕込みの美脚から、脳天に踵落としをお見舞いして




次々と思春期男子の潜在的M属性を開発していったのである




ボクたち三人は当日の騒ぎに乗じて、何とか逃げおおせることができたが




仲間のふたりは爪の奥に汚物が挟まって取れず




その後しばらくの間、給食のパンをちぎって食べようとするたびに異臭がするという後遺症に悩まされていた




ボクは極度の精神的疲労からか、38℃の知恵熱が出て三日間学校を休んだ




帰り道、ふらふらしながらようやく家にたどり着いたボクは




真っ赤な夕陽を浴びながら




粗相をして汚れたナナのオシリを洗った




ナナは肛門と鼻をひくひくとシンクロナイズさせながら目を細め




くぷぷぷふふーん




と切ない声をあげた




ああごめん




つめたい水がしみたのかい




そうしてボクは




やさしく擦ってあげたのさ




決して肛門から




静電気が発生したりしないようにね。