「あなた」
あなたの優しさが、好きでした。
その温かい目。
柔らかな手。
僕の名前を呼ぶ、その薄い唇の動き。
甘い髪の香り。
あなたといると、どんなことでも。
許されて・・・
あなたの優しさに、ずっと溺れていたかった。
「あなたに、何もしてあげられなくて。」
何も持たない僕は。
あなたを喜ばすことなんて、出来なかった。
あなたに比べれば、ほんの小さな優しさだね。
いつか、あなたに渡したかったけれど、
ポケットの中、ずっと握りしめたままで。
ポケットに手を入れたまま、うつむいている僕を。
あなたは少しだけ眉を寄せた後、その優しい手を広げた。
「このままで、いいよ。」
変わらないでいて。
あなたは、僕の耳元で囁いた。
甘い髪の香り。
僕の名前を呼ぶ、その薄い唇の動き。
・・・あなたの優しさが、好きでした。
・・・
時間のせいにしては、いけないけれど。
ふたりにとって。
あまりにも長い時間だったね。
同じように、流れていても。
少しずつ、変わっているから。
そういえば、桜の散り方は昔よりも忙しそうで。
夏の夕暮れに、蝉の声は少し寂しそうに。
・・・そうだね。
愛していることに、変わりはないけれど。
同じように、流れていても。
少しずつ、変わっているから。
これ以上、変わらないようにと。
突然いなくなったのは、あなたの最後の優しさだったのだろうか。
「出来ることなら、あなたの優しさにずっと溺れていたかった。」
夏の終わり、短く鳴いた後、力尽きたように蝉が落ちていった。
甘い髪の香り。
僕の名前を呼ぶ、その薄い唇の動き。
・・・あなたの優しさが、好きでした。
白鳥 海