家道_iedo 家は、愛が息づく場所

家道_iedo 家は、愛が息づく場所

気持ち新たに再出発した新しい家道をよろしくお願いします。
「暮らしを整えることは、自分を整えること。花、香、祈り、家族、ペットとの時間を大切にしながら『家道』という新しい暮らしの哲学を綴っています。」

私にとって、

アモ-ルがくれた一番大きなものは、ひとことで云うならば

駆け引きのない純粋な愛だったと言えるでしょう…。

 

この子と出逢うまでの私は仕事や趣味に夢中でいつも

外へ外へと気持ちが向いていました。

 

でもアモールと暮らすようになって少しずつ私の時間の価値観が変化しました。

何処へ行くのもいつも抱っこ、家に居ても抱っこか

膝の上、寝る時は一緒のお布団で添い寝…

 

ずっと一緒なのに不思議と重いとか我慢しているとか全く感じませんでした。

アモ-ルが時々顔を見上げて「ママ?」と

言ってるように見つめてくる…目が合うから自然にチュッ💋ってなる

 

そんな何でもない毎日がいつのまにか私にとって何よりも

かけがえのない時間となっていきました。

 

アモ-ルは幸せは特別な出来事の中だけにあるんじゃない。

何でもない1日の中でたくさんあるんだよ!という事を教えてくれました。

 

 

だからこそ、この子が旅立ったとき、私の世界から

色が消えました。

 

時間が止まったようなセピア色の世界

 

寂しくて、苦しくて、ただ会いたくて

 

深い哀しみの中にいました。

 

 

でも、そんな私にアモ-ルが残してくれたものがもうひとつありました。

 

「一緒に楽しいことしよ〜」

 

その言葉を受けとれた時、哀しみがなくならなくても、泣きながらでも

 

人は少しずつ前に進む事が出来るんだと気づきました。

 

そこから私は新しいことを学んだり、物を作ったり、言葉をここに発信したり、

 

またいろんなことに挑戦するようになりました。

 

生きていた頃、私達はいつも見つめ合っていました。

 

今はもうあの頃と同じように見つめ合う事は出来ません。

 

でも今は違う形で隣に並んで同じものを見て

 

同じ方向へ歩いてる‥‥私はそう感じています。

 

アモ-ルが私にくれたもの…

 

それは駆け引きのない純粋な愛。

 

何でもない毎日の中に幸せを見つける事、

 

そして深い哀しみを抱えていても

 

また前を向いて生きていける事。

 

これからもアモールと一緒に楽しいことを見つけながら歩いていきたいと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

第一章 「気」の哲学シリーズ

 

気配、気のせい、空気が重い、気が合う、

 

 

運がいい人は 気 を整えている

 

運を掴もうと必死になる人は多い

 

でも昔の人はその前に「気」を整えていた

 

玄関を掃く

 

窓を開ける

 

風を通す

 

花を生ける

 

香を焚く

 

靴を揃える

 

笑顔で挨拶

 

どれも小さな行動ですが、

 

でも その積み重ねが空間の気を整え

 

人の気持ちを変え

 

人とのご縁を変え

 

結果として

 

「運がいい人」に見えていく…

 

運は突然降ってくるものではなく

 

気が運ばれてくると書く

 

だから「運気」という言葉がある   *あくまで私の考え方です笑

 

 

家を整えることは見た目を綺麗にする事ではなく

 

暮らしの「気」を整える事

 

人は空間の気に影響され

 

空間は人の気に育てられる…

 

 

だから私は「家道iedo」を伝えたい

 

「気」はひとりでは完結しない

 

「気配り」は相手に気を配る事

 

「気遣い」は相手の気を使う事

 

「気が合う」は気の波長が合う事

 

「気配」は誰かの気を感じること

 

つまり「気」は自分の内側だけじゃなく

 

人や動物、植物、家との間を行き来しているものとして

 

日本語には残っていると私は感じるのです

 

 

あもちゃんへ

5回目の月命日は新盆になったね・・

新盆だから「おかえり」と言いたいけれど、

ママには、ずっとここにいるような

気がしてます。

 

以前のように見つめ合う事は出来なくなったけれど

今は同じ方向を向いて、同じ景色を見ている。

 

哀しいよ。今でも会いたいよ。

でも、この哀しみの中には

あもちゃんからもらった愛が

いっぱいあります。

 

哀は愛。アイはアイ

 

あもちゃん、ママと出会ってくれて

ありがとう。

なんでもない毎日を、宝物に

してくれてありがとう。

そして今も

「一緒に楽しいことしよ~」って

ママを前へ連れて行ってくれて

ありがとう。

 

今日は5回目の月命日。

大好きな梨と林檎、一緒に食べようね。

 

これからも、同じ景色を見ながら

歩いて行こうね。

 

 

 

 

「わかっているつもりが」が誰かを傷つける時

 

人の話を聞いている時

私たちは本当に「その人の話」を聞いているのだろうか?

 

最後まで聞かないうちに「つまり、こういうことでしょ?」

「こうすれば良かったのに…」

と自分の中にある答えを当てはめてしまうことがあります。

 

それは悪意からではないことも多いでしょう。

 

むしろ本人は、親切のつもりだったり、相手のために正しいことを

伝えているつもりだったりする…これが💦

 

だからこそ、少し難しい🤨😓

 

人の悲しみや苦しみは外から見える出来事だけではわからないものがあります。

 

同じ「大切な存在との別れ」であっても、

そこまで一緒に生きてきた年月も、関係も、思い出も

最後に交わした言葉も違います。

 

それなのに、ほんの数分、数行で知り得た事だけを材料にして

「あなたはこうするべき」「こう考えた方がいい」

と結論を出してしまったら…?

 

その“正しさ“が

まだ傷の癒えていない人の心に刺さることもあります。

 

”共感するという事は同じ意見になることではない”

と私はそう思っています。

 

「私には全部はわからない、けれど

あなたはそう感じているのですね」

 

そのくらいの余白があってもいい。

 

分からないものを

分からないまま大切に扱う。

 

それも、人と人との間に必要な思いやりではないでしょうか?

 

年齢を重ねても、学んでも、経験を積んでも

人の心の中まで全てわかるようになる訳ではありません!

 

むしろ私は、知れば知るほど、

「私の知らないことが、この人にはまだまだたくさんある」

と思える人でありたい。

 

自分の正しさを置く前に

ほんの少し、相手のための余白を空けておく。

 

家の中に風の通り道を作るように、

 

人と人の間にもそんな余白があればいい。

 

言葉は目には見えないけれど、人を傷つける事も、

そっと支える事も出来るものだから…。

 

今日、自分が誰かにかける言葉にも

少しだけ想像する余白を残しておきたいとおもいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泣かない日はありません…

だけどこの悲しみも愛のカタチのひとつなのだから

哀しみと一緒に生きる覚悟を決めてから

生き方を見つめ直すようになりました。

 

最近また、眠る前に

「あもちゃん、抱っこしたいなあ」と泣きながら話しかける夜が

続いていました。

 

そんなある朝、久しぶりにあもちゃんが夢に出て来てくれました。

 

夢の中で私はあもちゃんを抱っこして撫で撫でしています。

だけど夢の中でも私の感情はこれは夢だと気付いているんです。

あもちゃんはもうこの世界では存在しない子、

それでもあもちゃんのコロンとした可愛いお尻と毛並みが綺麗な背中を

撫で撫でさせてくれてるんやなあ!「あもちゃんありがと、夢で逢えたね

ママ嬉しいヨ」

、と泣きながらギュウ~してた。

 

「ママ、想う存分にナデナデしよし…」

となんだか悟っているあもちゃんに見えたのです。

泣きながら目覚めて

祭壇のあもちゃんに声かけて

「あもちゃん、ありがとう、抱っこさせてくれたんやね?

ありがとうあもちゃん、ほんまにありがとう

あもちゃんはいつもママの話聴いてくれているんやねえ」

 

形は変わったけれどいまも一緒に生きてます。

繋がりを感じます。

 

なんとかあもちゃんを感じたくてアニコミ(アニマルコミュニケーション)

をお願いしたらこんな事思ってくれてたの?

こんな風なこと伝えてくれてたの?

と言い表せない程の感動を与えてくれました。

目には見えないけど隣にはあもちゃんがいる。

見守るって感じじゃなくて励ますよ!となんだか

悟っているあもちゃんに私は育んでもらっているようです…。

 

私にはアニコミの才能はありません。だからこそあもちゃんと

何か繋がれる方法がないかな…と探していました。

 

 

そんな時、知人から

カードなどのツールを使うことでお話し出来るんじゃない?

とヒントを頂きました。

読み方を覚える必要はあるけどこれなら私にも可能かと…

 

どんなカードが良いんだろうと、しっくりくるカードが見つからなかったので

お手製のあもちゃんとママだけの閃きに任せて手探りで簡易的なカードを

最初は30枚位

今後ピンときたらカードに筆文字で足していく…

 

あまり深く考えずに「今日のカード引くよ。

あもちゃん、ママにメッセージくださいなあ」と

ランダムに1枚の時や3枚の時もあるけど

例えば1枚目光

2枚目月

3枚目鳥だった場合

 

 

「光・月・鳥」

 

抱きしめたいと願った夜

その願いは

夢の中でそっと叶いました

 

振り向かなくてもいい。

 

あたたかな背中もナデナデした指先もあの日のまま

 

言葉はなくていい

静かな時間だけが流れていました

 

 

光は

明日へ歩く勇気を照らし

 

月は

抱きしめた悲しみを

優しく包み

 

鳥は

届かないと思っていた想いを

今日も空へ運んでくれる

 

だから私は

涙を流しながらでも歩いていく。

 

あなたを忘れるためではなく

 

あなたと共に生きていくために。

 

(詩人?)詩犬 amorよりママへ

 

 

これからもあもちゃんに育まれながら私は共に歩いていく