『日本人の英語はなぜ間違うのか』 マーク・ピーターセン | 前山和繁Blog

前山和繁Blog

てきとうな読書記録その他。勝手にどうぞ。引用などは作法を守っているのであれば、ご自由にどうぞ。

このごろ、過去に書いた記事の誤っている箇所が気になり始めてきた、直したい箇所もいくつかあるが、なかなかできないでいる。

英語学習の記事も時折書くことにした。

 

『日本人の英語はなぜ間違うのか』 マーク・ピーターセン

 

マーク・ピーターセンはアメリカのウィスコンシン州生まれ。2014年11月時点で明治大学政治経済学部教授。28年間(2014年11月時点)日本人の大学生に英語を教えて直面した日本の英語教育の問題点が学生のおかしな英文となって現れていると実感している様子。

 

『日本人の英語はなぜ間違うのか?』には引用文献に日本の中学校の検定教科書が13冊挙げられている。

 

日本人の英語はなぜ間違うのかという問いの答えは中学校の英語の教科書に英語の時制を完全に教えてはならないといった不自然な制限がかけられているせいで、中学生の英語教科書に記載されている英文が不自然になっていることが何度も指摘されている。

 

そして、そういった問題のある中学校の教科書を使用せざるを得なかった学生が書いたおかしな英文も多数、記載されその不自然さが指摘されている。

 

私の感想としては日本の英語教育は文法に偏重しているといった意見は無根拠な風聞あるいは日本の英語教育が全般的におかしいにもかかわらず、弁護しなければならない立場の人が苦し紛れに言い出した意見に過ぎないと再確認した。

 

マーク・ピーターセンは文部科学省への提言もしている。

 

今回、本書のために中学校の教科書を読んで感じたことは、予想していた以上に学習指導要領の制限が英語表現に影響を与えている、ということでした。学習者である中学生の負担を慮ってか、覚えなければいけない文法事項に制限をかけるということは、想像以上の問題を生じさせているように思われるのです。”伝えたい意味が通じる英文”が書けるようになるために、まず必要となる文法事項として、過去完了形と仮定法と関係詞非制限用法が挙げられますが、それは中学の教科書では教えないことになっています。理想的には、中学の英語教科書で、1、過去完了形は過去形と一緒に、2、仮定法は未来形と一緒に、3、非制限用法は制限用法と一緒に紹介したいものです。これらの文法事項を豊富な例文を交えて対照させながら覚えてしまえば、少なくとも”用法をいつまで経ってもよく把握できない”という生徒の数はかなり減ると思われます。現場の先生方にとっても、最終的にはそれがいちばん効率的に英語を教えることにつながるのではないでしょうか。文部科学省にはぜひ検討してもらいたいものです。(172頁)

 

英語の時制というのは分かりやすく言い換えるなら、英語の動詞(と助動詞)の変化はセンテンスの中の主語の状態を決めることなのだから、英語を学び始めた学習者に初期の段階から、その動詞の変化の状態のすべてを教えないでいるのは不自然なはず。

あるいは英語の動詞は主語のみではなく補語や目的語にも影響が及ぶと説明したほうがよかったかもしれないが、それでも時制というものは動詞を変化させることにより、センテンスの状態を変化させること、という解釈は成り立つはず。

 

これが日本語であれば日本語の動詞は、センテンスに明示されていない対象の状態を表わすこともある。

 

「道を歩きながら本を読む、などということをしていると電柱か何かにぶつかるかもしれない。」

 

「道を歩きながら本を読む、などということをしていると電柱か何かにぶつかるかもしれないですよ。」

 

上の二例のうち動詞の部分の、「ぶつかるかもしれない」の影響が及ぶ対象はセンテンスの中に明示されていないが、これでもセンテンスとして完全であるし、これで完全に動詞が機能しているのである。もう少し状況を詳しく説明するセンテンスが上の二例の前後にあれば、誰が動詞「ぶつかるかもしれない」の対象かどうかが完全に特定できるだろう。そして、それは、同一のセンテンス内に完結させる必要がない。その意味で日本語と英語とでは動詞の役割が違っている。

 

英語であれば主語を使わずに動詞から発話すると命令形になってしまう。あるいは意味をなさなくなる。

 

英語であれ日本語であれ、学び始めの初期の段階の学習者に、動詞の活用、変化をすべて教えずに学習を進行させるという方針は無理があるだろう。

 

以前書いた記事が、おかしかったので修正しました。ご迷惑おかけしました。(2019年3月24日。)