追悼 | 前山和繁Blog

前山和繁Blog

てきとうな読書記録その他。勝手にどうぞ。引用などは作法を守っているのであれば、ご自由にどうぞ。

このごろ、過去に書いた記事の誤っている箇所が気になり始めてきた、直したい箇所もいくつかあるが、なかなかできないでいる。

英語学習の記事も時折書くことにした。



以下には不明瞭な部分もあるがツイッターに書いたことに追記し、この記事に記録しておくことにする。

ツイッターに、この前も書いたが、どうしても気になったのでもう少し。虐待と貧困によって日本女性の平均寿命の半分の年齢にも到達せずに16年か17年に亡くなってしまった女性(N)がいた。私はその女性と話をしたことすらもない。ただ21世紀になる前に私はその女性を見かけたことはある。

おそらくその女性を悼む人は医療関係者を除けば、ほぼ誰もいなかっただろう。耐え忍んだ期間を経過した後のその女性なりの自身の尊厳を保つための選択といった意味ももしかしたらあったのかもしれない。私は詳細を知らないので以上の解釈は間違っているのかもしれない。

娘を追い込む母親がいるのは確かだとしても、女性の雇用政策の不完全さから中高年女性の就労機会と特に学歴らしい学歴のない女性の就労機会が非常に乏しい中で、虐待及び被虐待の関係が断ち切れなくなってしまうのだろう。

若くして亡くなった女性がいたと伝わってきてしばらくたった今、私の中で、あらためてそのことが衝撃になってしまった。日本社会において女性が平均寿命の半分の年齢にすらならない年齢でこの世を去ってしまうのは明らかに異常事態である。虐待の罠にかかってしまっては美しさなど何の役にも立たない。虐待の影響で若くしてこの世を去った女性(N)がいた。しかも悼む人もまずいない。そういった悲劇があるのを私は伝えたくなった。

ごく簡単に言ってしまえば、その女性は親から自分の言葉で考えてはならないといった、しつけをされていたのだろう。そして社会的に孤立していったのだろう。孤立から脱出できない状況では虐待にさらされ続けた人は助からない。私は、どこかの時点でそう気づいたが結局、誰にもそれを伝えられなかった。自分の言葉で考えることを封じられてしまった個人は社会的自立が非常に困難になる。結果として社会のなかで身動きが取れなくなってしまうのである。

虐待に長い間さらされ続けた個人は、その虐待の深刻さがまず他者に理解されず。さほど深刻でもないだろうと誤認されてしまうことも多いのだろう。

だから対応としてはこれ以上、孤立させないように安全な場所に移動させるべきだったのだろう。しかし、日本の制度的な貧弱さのせいでそれも無理だったのだろう。個々人の努力の不足というのでもなく、制度的な貧弱さが虐待の深刻さに対する誤認を招いたのだろう。

唐突かもしれないが98年か99年のユリイカの増刊号で村崎百郎の同郷の北海道出身の売れっ子作家の対談相手が、村崎百郎の話を聞いて「それは真の意味の鬼畜だ」と答えていたことを思い出した。村崎百郎が「何も弱者差別がしたくてお釈迦様が仏教を説いたわけではないだろうに」という趣旨の意見を言ってもいた。村崎百郎を素に戻すような、悪質な虐待をする親等が昔から日本にいたのである。

更に話は飛んでしまうが、キリスト教国でない日本においてはキリスト教徒である一部の人々を除いてヘロデ王の嬰児虐殺(ここで史実についての検討はできない)のイメージが湧かず、結果として子どもへの権利保障への意識が日本国民の意識の中で希薄になるのだろう。キリスト教国にも昔から今に至るまで児童虐待が発生していた。ただキリスト教国であれば虐待をする親がいる一方で、子どもの権利を保障しなければ、社会そのものが成り立たなくなるという意識も強固にあるのも確かである。私には、キリスト教国においては子どもの人権とヘロデ王の嬰児殺しのイメージが、ある程度結びついているように思えてならない。日本において子どもの貧困や教育機会の見直しが表面化し始めたのは、ほんの10年前くらいからである。

私には、虐待をする親が出てくるのは防げないとしても子どもの権利保障が実体的な制度としてしっかりしていたとしたら助かった人々も多かったと思えてならない。

私の中で、話をしたことすらもないN○G○M○という名字の女性が2016年か2017年に若くして亡くなってしまったことが、重い衝撃になってしまっている。繋がりがおかしく意味不明な記事になってしまっているが、その女性がつい最近まで確かに生きていたことを忘れたくなかった。

医療機関の内部で個々人のプライバシーが守られていたとしても、田舎に住んでいると人の死、特に平均寿命を大幅に下回る年齢でこの世を去ってしまった人の話題というのはどうしても伝わってきてしまう。田舎というのはそういった意味で危険地帯でもある。せめて私に伝わらない程度に、安全な場所に移動出来ていたらと考えてしまった。


にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村