西成区のマンションは住み心地が良かった。

木は森に隠せばなんとやらみたいなもんで、西成辺りじゃシャブ中一人なんか目立たない。

実際、マンションの中にはヤクザやポン中らしきのを含めて色んなのがいたし、エレベーター前の大型の灰皿に血のついた注射器が転がってるなんてのは数度目にした。

そんな治安の悪いマンションだから当時フラフラといつ起きるか分からない生活をしていても、なんの問題もなかった。

夜中の2時3時や朝方4時とか犬とうろちょろと何度も散歩に出たり入ったりしてた。

天下茶屋駅前には安くて美味しいご飯屋さんがいっぱいあったし、夜中でも開いてるラーメン屋だの24時間営業の弁当屋もあったし24時間やってるスーパー玉出もあったりと便利だった。

なにしろ家賃が安かった。

でも4〜5年住んでたある日、ドアポストに管理会社からのお知らせが入った。


「当マンションはペット不可です。現在飼われてる方は今月末迄に退去、もしくはペットの飼育を中止して下さい」

5年目の青天の霹靂?

それまではマンション内でリコを連れてる時、管理会社の清掃のおばちゃん達に会っても撫でてもらってたのに。


入居する時に仲介業者からは

「契約書ではペット不可となってますが、飼われている入居者が多数おり、黙認されている」

と聞いてただけだった。

ちょうどその頃、なんとかドン底からは脱出してて金には困ってなかった。

ただ気がかりなのは、刑務所に行っているアイツのことだけだった。


このマンション、ビジタルってオーナー会社は西成区浪速区で多くの賃貸物件を抱えているだけあって手厳しい管理で有名だった。礼金が安い代わりに家賃を遅らせて連絡をブチっていると即刻2〜3日以内に鍵のシリンダーを交換され、部屋に入れなくして使用できなくさせる。

駐車場の賃料を払っていないと車のタイヤホイールに輪止めをする。

暴力団関係者とおぼしき車相手にもそれは行われてた。


猶予はないな、と思った。

すぐに引越し先を探した。

その頃、ミナミの三ツ寺にある昔の友達の店にほほ毎日昼から麻雀をしに行ってた。

西成から毎日タクシーで行き帰りしてた。

賃貸屋に行って

「ミナミまでタクシー1000円圏内でペット可の1LDKで家賃10万ぐらいまで、陽当たりがよくて広めのベランダ、家主がうるさくないマンション」

オーナーがマンションにいて毎日ジロジロ見てくるような所はご勘弁いただきたい。


大国町駅からほど近い古臭い1LDKのマンションを契約した。

引越しの作業を始めた。

で、この頃は特にシャブを打ちすぎてた。

荷造りしようとするのだが、シャブを打ちまくりながらするから作業が進まない。

無駄に服などが増えすぎていてさらに手間取った。

もう一発入れたら始めるか、、

の繰り返しで終わらない。

タウンページ的なのをググって引越しをしてくれて尚且つ、おじいちゃんおばあちゃんが片付けてくれるような小規模の便利屋を探した。

丁度いい業者を見つけた。

一人では片せないソファの隙間などから大量のオレンジキャップが出てきてた。

あちこちから使い古した注射器も出てきてた。

シャブを打ちすぎてて自分では整理できる気がしなかった。


片付けに来てくれた業者はおじいちゃんが2人とおばあちゃんが1人。

とりあえず最初はオレも手伝って粗方の大きな家具は一緒に運んだ。

シャブボケしてたオレは部屋を汚していて部屋のクリーニングもしなければならなかった。引越し作業のあと、それをおじいちゃん達に頼んだ。

引越し費用を支払い、

「別に1万ずつ渡すから部屋の掃除してもらえますか?」

清掃し始めると出てくる出てくる大量の注射器。

口止めのつもりでもう一万ずつ払った。

おじいちゃんおばあちゃんだと包容力があるから頼みやすい。

若い人なら蔑んだ目をすると思う。


部屋は綺麗になったけど、フローリングの一部分が破損していた。

管理会社の人に引き渡す時に

「フローリングの修理見積もりを出させて頂きます」

と言われた。

「これぐらいは多めに見てよ、5年もいたのに」

30前半であろう若い社員の男に5000円を握らせたら、にこにこ笑って機嫌良く返事をしてきて話は終わった。


二度と入ることもなくなったこの西成区聖天下のマンションを出て歩き出したながら、このマンションでの思い出を手繰り寄せた。

ここから出かけたあいつはニ度も帰って来なかったことがあった。

二度とも逮捕されてた。

二度目の時、オレは部屋でテレビを見ていた。

ユニットバスに入って出てこないあいつは中でシャブを打ってた。

見に行くこともなかった。

玄関のドアが開いて閉まる音に気づいて、追いかけた。オレは上半身裸だった。

リコがオレの後をついて来てた。

マンションの外に出たら数十メートル向こうをあいつが小走りで逃げて行くのがみえた。

リコを離した。

リコは一目散にあいつを追いかけて走った。

離れたところの角をあいつが曲がってリコもすぐにその角を曲がった。

追いつけた筈。

部屋に戻って服を着てその場に向かった。

角を曲がったところでリコが繋がれてた。

途方にくれた。



シャブで頭がどうにかなってるあいつがオレを虚ろな目で見つめて言った。

「私と結婚してくれないのはなぜなの?本当は誰か別な人と結婚しているんじゃないの?」

オレがあいつをこんな風にしたんだ。

答えることができなかった。

勿論オレは結婚なんかしていなかった。


その日の夜に電話したけど出なかった。

次の日に電話したら電源が切れてた。

何度も電話したけどそのままだった。

また途方にくれた。


一週間ぐらいした時にあいつの可愛い字で手紙が来た。

裏面を見たら、オレの本籍地、実家のある住所の警察署からだった。

大昔は免許証に本籍地が記載されてた。

それを覚えてたんだろう、オレがもしかしたら他の人と結婚していて子どももいるかも知れないと幻想したあいつはフラフラとオレの実家を探し回った。

本籍地の表記は地番が記載されてる。

住所の表記とは違う。


近くまでは辿り着いたけど、そのあとふらふらと彷徨い続けたんだと思う。

どこなの?本当のことが知りたいと泣きながらあいつは歩き続けたんだ。

右も左も分からない場所であいつはまるで小さな女の子が迷子になったように歩き続けてたんだと思う。

それを考えたら胸が締め付けられた。


逮捕された場所を何年も後に、

あいつがまともになった時に聞いた。

「芝生があってシロツメ草がいっぱい生えてたんだよね、綺麗で広い公園。そこにトイレがあってアレをして、行くあても分からなくなって、その公園に夜遅くたどり着いたの、暑くて靴を脱いでしゃがみ込んでたらおまわりさんが来て捕まったの」


聞いてすぐにその場所が分かった。

オレの育った実家から程近いところにある、よく整備された公園だった。


当時、警察署に面会に行ったらあいつは素面で、憑き物が取れたみたいな顔をしてた。

「なんで私ばっかり捕まるの?」

たしなめた。

アクリルの向こうで恥ずかしそうに顔を隠した。

「刑務所にはいんないといけなくなっちゃった、、」.

胸が痛かったけど、少し安堵もしたのも本心だった。

あいつはやってしまうとどうなるか分からない。


「あんまり浮気しないでね」

「手紙書くから」

少し泣いてた。

「うん」


連絡が途絶えた。

オレはさらにシャブでボケてた。

和歌山刑務所にいるであろうと手紙をかいたけど不在だと返送されてきた。

今は知らないけど、当時は枠に入ってない人間から手紙が来ると返送されてた。

そういう場合は発信側の住所を書かないで送らないといけない。

そうすれば出所時に受け取れる。


好きで好きで大好きで会いたくて会いたくて西成のマンションで、まともな素面の時なんてほとんどなかったけど、思い続けてた。

シャブが残ってる身体で涙を流すと、体温より温かい涙が流れ落ちた。

西成のマンションの部屋の中でリコと二人、廊下を足音がするとリコがオレの顔を見上げた。

あいつのことをいつでも祈ってた。

リコを抱きしめてフワフワのからだに顔を埋めて願ってた。

シャブにまみれた生活の中でも。

(あいつは何も悪くない)


西成のマンションを後にしてリコと歩いて数十メートル、旧街道と呼ばれる道に出た。

リコの胸の下に手のひらを入れて抱き上げた。

タクシーに乗り込んだ。

「大国町お願いします、大国町の交差点を西へ」


もしかしたら、前のあのマンションにあいつは帰ってくるかもしれない。

大国町のマンションに着いてあいつの実家に手紙を書いた。

新しい電話番号と住所。


二日後に電話がかかってきた。

懐かしいあいつの声。

4年も経ってしまってた。

とっくに出てきてた。、

その週に再会することになる。



なにも変わってない、オレはなにも止めれてなかった。

シャブでどうにかなってた。

オレもあいつも。

ただオレはいつも狡猾に冷静さを保ててる人間だった。


あいつはリコのことがなかったら、

オレのことを警察で喋ってたと思う。

面会でもたしかにそう言ってた。


「リコのことお願いね」