今日農業用水の発電化について市役所の環境化にいってきました、か係りの人がいないので電話番号だけ教えて帰ってきました、数時間後係りの人と電話でいろいろ話しましたが
役所の考えと、方向性は一緒ですが、思考性がだいぶ違いました
役所の考えは一番水量の多いところにダムのようなものを作ってかなりのkwhの発電を試みるつもりのようでしたしかし計画倒れに終わってしまったそうです(国の進める小規模発電計画の一環で1000kwh以上の発電をすると国の援助がもらえる)そんな考え方で進めたのではないかと思われます
私の考えは2っありまして。
先人が徳川時代に機械もなく手掘りで血と汗で作り上げた農業用水が私の知る限りでの昔の3割程度しか生かされていません、昔はいたるところに水車小屋が有りかなりの動力を生み出し生活用水や田んぼの水。取り合いになるほど、活用されていましたそれが今では、減反政策で少量の水であとは海にかえるだけです
先人の残した財産に胡坐おかいているんのでは、先人たちがなぜ20キロちょうの堀を掘ったのかそれは子供や孫、子孫繁栄の為この堀が今わ10の働きをしなくてもいずれは100の力になるそんな夢を持って掘ったのでは
私は至る所水車小屋があったように小規模発電を十二分生かそうと考えなければならない事。
それと、,今私たち文明社会は昔の何倍もの生産性を上げて民族が繁栄できそうなそんな社会です。しかし何かがおかしいのでは,それは仏教でゆう輪廻転生(サイクル)ただ掘り起こして燃やし尽くしてしまう、そんな世界では民族の繁栄はないのだと思います、自然のサイクルを十二分生かして、すべて
宇宙大気、万物の教え、また宇宙も再生を繰り返し膨張しているのでは
民族の繁栄もそんなところにあるのでは、(ちょっとオオバ-今仕事がないので、前向きに考えて何でも利益になることをして心の安定を求めています、それが本音です)