俺は当時浪人をしていた。

実はさる大学へ二年程在学していたのだが身体を壊して一年は休学、再起してやり直そうと通いだしたのだか嫌気が差して辞めてしまった。

ワガママだったんだな。

そして流浪の一年が有り、迷った末、再び大学を受験することにした、それが故の浪人である。

良く両親が許してくれたものだ。

今から考えればさほど裕福ではなかった親が俺の病弱を哀れんでの事だったのかも知れない。

俺はストレス性の十二指腸潰瘍を患っていて、食べれば吐き、その度に巡って来る胃痛に耐えながら、いつしか絶望を感じていた。

実は浪人とは名ばかり勉強等とは程遠く、実態は予備校代を元手にパチンコばかりをしていた。

勿論親に対する罪悪感はあったが絶望という名の空白を埋めて束の間の胃痛から解き放たれる為にはそれぐらいしか方法が思い浮かばなかったように思う。

浅はかだったが青春というストレスから逃れる方法を他に知らなかった。

当然良く負けた、親に無理矢理買って貰った当時としては高価なテープレコーダーは質屋と行き帰り。

俺は小金を捻出しながら、そんな虚ろな毎日を送っていた。

パチンコに負けてすっからかんの財布には小銭すら無く、唯小さな橋の欄干に身を持たれ掛け、流れる川の水面を見ながら、心の空虚や、虚無に身を任せていた。

不愉快も怒りも自戒も無い。

唯淡く青春が朽ちかけている、そんな感覚だ。

勿論圧倒的な孤独感である。

自堕落が自然で、似合う程身に纏わりついても気に止めなくなっていた。

そんな頃だ。

俺は田中兄弟と言う大学生と知り合った。

兄は明治、弟は青山、弟は真面目なほうで、兄は早熟な遊び人である。

二人は仲間を欲しがっていた。

友達と言う意味では無い、ちょっとした小遣い稼ぎと時間潰しをする為のマージャン仲間が必要だったのである。 

俺と彼等が住んでいる下宿屋の息子が誘われてマージャンの手解きを受けた。

最初は勿論、金を賭けたりはしない、唯の手慰み、そしておさだまり、覚えて来ると何がしかのかねを賭ける様になった。

俺は夢中になったね、マージャンと言う複雑怪奇な遊びに。

さして意識したことのなかった闘争心や、好奇心、運と言う哲学的で興味尽きない世界。

俺は素直に引き込まれてハマっていった。

毎日のようにに兄弟とマージャンを打ち合い、彼等に感化されていった。

特に兄弟の兄はマージャンから、スポーツ、酒、女まで万能の遊び人であり、そして強かった。

一度彼の主催で六大学の猛者が集まってマージャンを開いたのを観戦させて貰った。

兄はいつもと違う鋭い眼光を放って打ち合いそして勝った。

当然だったと思う。

俺は彼が一人で部屋にいる時もマージャン牌の手触りを確認したり積み込みの練習を黙々とする姿を見ていたし、そんな裏の努力をしているのを知っていたから。

俺はかれが負ける筈は無いと信じていた。

彼は根っからのギャンブラー。

俺も憧れを持って彼を見ていたものだ。

残念ながら俺もそこそこ強くなって他のメンバーとも打つようになったが凄腕というわけでは無い。

俺は極緊張した場面ではゆびの震えを隠せない、そんな風で、己の心の限界を知る様になって自分の弱さを認めた。

しかしそこに思いいたる為にはどれだけ多くの時間と労力を費やしただろうか。

徹マンに次ぐ徹マン、手の皮、指の指紋、それらが薄くなる程マージャンと付き合って、青春を浪費していった。

一人で雀荘を渡り歩く程の度胸は無かったがそれなりの打ち手にはなった様な気がしていた、思い上がりだけどね。

ギャンブルは確かに日常のストレスを忘れさせる、俺もその時だけは胃の傷みや嘔吐から解放された。

しかしそれはあきらかに高すぎる薬代であり途方も無い青春の浪費である。

とまあそんな日々ではあったがなんとか再度大学へ入学を果たし、無味乾燥な四年を過ごしやがて大人になった。

あの懐かしい兄弟とはもう会うことも無かった。

やがて仕事に就くようになった後、図らずもマージャンは役にたった。

近年はもう廃れてしまったようだが当時、マージャンが多少出来ると言う事は一種のステイタスで何処の職場へ流れても必ずマージャン好きがいて誘われる事になる。

自慢するわけでは無いがそこそこの俺と打ち合うことを欲する輩がいたのである。

それが職場の上司であったり、同僚であったりしたが、俺はさほど勝つでなく負けるで無くそこそこの付き合いをこなしていった。

あの田中兄弟のおかげと言われればまあその通りであろう、否定は出来ない。

俺は年と共に酒を飲みながらマージャンを打つようになり、あの修羅場から、趣味の領域へと枯れていった。

あれは四十七歳の時だ、その時俺は建設現場の長の一人を担っていて、職長や工事所長を交えてマージャンを打っていた。

流れ者の年老いた職長は財布を見せて言った。

「二百万あります幾らでもやりましょう」と。

俺は呆気に取られ、手慰みのつもりでいた自分が流れ者の覚悟に毒を抜かれた気分になったものだ。

良く考えて見れば俺はもつ賭けるべき何物も持ってはいない。

その夜俺達は飽きる事無く

牌と心置きなく遊び、俺としては生涯最後のマージャンとなった。

酒がまわっていたのだろうその時勝ったのか負けたのか、それすら覚えてはいない。

それからは仲間に恵まれなかったのかもしれないがマージャンをした事が無い。

今はせいぜいスマホやパソコンでゲームとして名人位を取ったりするのを楽しむぐらいである。

まあ今はそれすらも興味を失ってしまったのだが。

しかしあの青春時代に取り憑かれた無謀と言える時間を費やしたあれは一体何だったんだろう。

思い起こして考えて見るとあの頃は賭けに耐えうるだけの元手を持っていた。

それは青春という名の時間である。

いまは残念ながらそいつの持ち合わせが無い。

どうやら俺はもうギャンブルとやらには縁がなくなってしまったようだ。

振り返れば人生自体が大きなギャンブルだったのかもしれない。

おっとつまらん事を書いてしまった、

二百万を財布に突っ込んで賭場に行く勇気はないが決っして老いぼれた訳では無い。

勝負はまだ付いていない。

熱いぜ。


by konoe73