未来からの遺書
絶望、失業、敗北、孤独、貧困――そんなもの、あまりに日常すぎて、今さら振り返る気もない。
若いってのは財産、そんなことは分かっている。
だが「明日のために今日を我慢する」なんてのは、俺には耐えられない。
腹は減るし、タバコも吸いたい。
札束を抱えて心行くまでパチンコをやってみてえ。
可愛い子がまとわりついて「一緒に行く?」なんて言ってくれねえかな。
……駄目だ、奇跡なんて起きやしねえ。
昨日までタクシーを走らせていた。
俺にとっちゃ生命と引き換えの二種免許だったのに、たった一度の事故で取り上げられちまった。
俺のせいじゃなかった。飛び出したのはあの女の方だ。
今じゃ病院で危篤状態だと聞かされた。
訴えたさ、俺のせいじゃ無い。
飛び出したのはあの女の方。
警察じや状況次第で俺の扱いが変わると脅かしやがった。
「本当にあの事故は俺のせいじゃ無い」だが誰も信じてくれなかった。女は意識不明のまま。
もともと何も持たなかった。
親は早く死に、養護施設も嫌いだった。
卒業の時、先生は「頑張りなさい」なんて口先だけで送り出したが、本当は俺がいなくなってホッとしていたんじゃないのか。
それでも俺は機嫌よく生きてきた。人生なんてそんなもんだと思っていたから。
だが今は違う。
タクシー会社を首になり、畳の上で寝転んで、明日が見えなくなった。
腹が減って、ただそれだけ。
貯金なんてしたこともない。部屋には壊れたコタツの残骸と、使いかけのメモ用紙、一本のゼブラのマッキー。
エアコンもテレビも女もない。
「……遺書でも書くか」
気まぐれにメモ用紙を取り上げた、
すると手が勝手に走り出す。
俺の意思とは関係無く、マッキーが勝手に俺の手を導く。
何だこれは?
「遺言」の文字が目に入る。
待ってくれ、俺はまだ死ぬつもりは無い,さっきのは冗談だ。
俺は自分の手が紡ぐ文章を後から読み進める。
遺言
ミソノ、俺は先に行くことになるが許してくれ。これは運命なんだ。あんな酷い事故から始まった出会いだから。
だが信じてくれ、ここまで君を忘れたことは一度もない。
ミドリとタクヤが生まれ、君が子どもたちに愛を注いでいた時も、私は君を心の奥で愛していた。
少ない財産だが三〇億は三人で平等に分けて欲しい。
会社はタクヤに任せる。
ミドリはファッションデザイナーとして成功するだろう。
私はミドリの努力と才能を信じている。
伝えたいことはまだあるが、何よりも――私が成功者でいられたのはミソノ、君のおかげだ。
改めて感謝する。
残念ながらガンの進行は止められないとのこと。
だが私は愛した。生きた。
ミソノがいて、ミドリがいて、タクヤがいた。
充分だ。皆、愛してる。さようなら。
……マッキーのインクが切れた。
「なんだこれは。ミソノ? ミドリ? タクヤ? 誰だよ」
皆知らない名前だ。
腹が減って幻を見たんだろうか。
俺は遺言の書かれた,メモに見入っていた。
その時、アパートのドアがノックされた。
「借金取りか? いや、金は借りちゃいねえ」
ドアを開けると、やたら高級そうなスーツを着た中年の男が立っていた。
勿論、覚えはない。
「お嬢様は奇跡的に助かりました。意識が戻ったんです」
男は言葉を区切った、そして続ける。
「それで、貴方様にお会いしたいと申されております」
「お嬢様、誰だ?」
「まさか俺が起こした事故の相手」
男は深く一礼し、静かに答えた。
「――ミソノ様です」
by konoe73