私の家の片隅に一本のミカンの木がある。

上下左右二メートル程であるが古木である。

農薬はおろか肥料も与えた事は無い。

だが元気者で今年も多くの実をつけた。

売り物には勿論ならない、正直色艶もカタチも大きさも自由奔放に育っている、まあ味もそこそこかな。

それでも毎年この時期になると収穫を楽しめる。

その日は陽射しも柔らかで、暖かく、風も無い、肉体労働を厭う歳になった、私もその気になった。

久しぶりに軍手をはめて剪定鋏を取り出しミカンに手を掛けた。

その時ふと昔の事を思い出した。

私は若い頃戦争をした事がある。

人を相手の戦争では無い、ミカンとの戦争である。

そう、まだ私が若かった頃の事だ。

その日親戚の隠居さんから連絡があった。

山へ来いと言う。

私は隠居さんには逆らえない、直ぐに足を運んだ。

隠居さんは山の中腹を指差して、「お前にアレをやるけん収穫せい」

指差した方向に目をやるとアレが風景を黄色く染めている。

アレとは勿論ミカン、風景とはミカン畑、決して大きくは無いが小さくも無い一人前のミカン畑であった。

田舎では途方も無い事が起こる。

隠居さんは畑ごとミカンを私に譲り渡した。

そして収穫を命令したのである。

そこから戦が始まった。

急な斜面には侵入路も収穫したミカンキャリーを置く広場も無い。

私は隠居さんから借りたエンジン付き一輪車を頼りに道を作り、広場を作る。

これらはまさに戦を始める時の常道である。

愛用のジーパンも、新しく買った地下足袋もすぐに泥まみれ。その作業だけで私の顔は疲労で土気色、まだ始まったばかり、果たして何日持つか。

収穫期間はそう長くは無い、待ってはくれないのだ。

私の武器は剪定鋏と気力だけ、これもどこかの国がやった戦争に良く似ている。

その国は敗北したが私は負けるわけにはいかない。

その頃になると解って来た。

ミカンを切ると支えながらその重さに耐えかねていた枝が自由を得たかのように喜んでいる。

畑の木々は早くミカンを収穫してくれ、自由にしてくれと望んでいたのである。

一種の自由解放戦争である。

私は鋏をふるう、右に左に上に下に、敵は限りなく多い。

包囲され、不意打ちを喰らい、突撃を受ける。敗北が頭をよぎる。それが何日も続く。

目も眩むような騒乱や激戦があって、ある日、気がつくと、突然、終わった。

私は自由解放戦争に勝利したのである。

ミカン畑は私を祝福して軽くなった枝を揺らして笑っていた。

黄色かった斜面は緑色に変わった。

達成感で胸が一杯だ。

静謐と秩序が戻って来たのである。

もしかしたら山に棲む精霊が孤独に戦う、私の味方をしてくれたのかも知れない。

もう戦争はしたく無い。

それから月日が流れた。

今日私がしようとしているのは戦争では無い、ささやかなミカン狩りである。

小一時間でミカンは取り終えた。

それでも三十キロぐらいはあろうか。

老兵は死なずか、などと独り言。

微笑みで頰が緩む。

ミカンで一杯になったキャリーを見ている。

そして感慨に耽る。

もしかしたら、この古木にも精霊が宿っているのかも知れない。

私はそう思った。


by  konoe73