坂の上の雲ミュージアム()の隣というか、上にあるのが、国の重要文化財の萬翠荘です。
【萬翠荘公式HPより引用】
萬翠荘は、大正11年 (1922年) 旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨 (ひさまつさだこと) 伯爵が、別邸として建設したもの。陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった同伯爵好みの純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られた。また、裕仁親王 (後の昭和天皇) の松山訪問に合わせ、完成を急がせたとも伝えられている。
萬翠荘は戦禍を免れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物として、昭和60年 (1985年) に愛媛県指定有形文化財となり、その後平成23年 (2011年) に萬翠荘本館と管理人舎の2棟が国重要文化財に指定されている。
【引用終り】
坂の上の雲ミュージアムの窓から、萬翠荘が見えます
さて、萬翠荘です
明治·大正·昭和に建てられた西洋風建築大好き爺には、
堪らない佇まいです😍
玄関ホールも良い感じ
謁見の間
晩餐の間🤩
2階ヘ移動
ステンドガラスが綺麗です
2階には、資料や、
模型の展示👀
貴賓室
迎賓室
迎賓室には、
昭和天皇のご肖像画。
突然、和風建築の模型が展示されていたので、何だと思いましたら、
この様な説明がありました。
「『愚陀佛庵 (ぐたぶつあん) の復元』
明治二十八年に漱石が名付けた「愚陀佛庵」は、二番町にありましたが、 昭和二十年(一九四五年)、太平洋戦争の戦災により焼失しました。その後、 愛媛県が昭和五十七年、 萬翠荘の 側に「愚陀佛庵」を復元しました。 その「愚陀佛庵」では、句会や来県した 要人と知事らとの会談が行われるな 県民に親しまれていました。 しかし ながら平成二十二年(二〇一〇年)の 豪雨による土砂崩れで倒壊しました。 一方、子規においては、漱石と過ご した五十二日間を経て、明治二十八年 (一八九五年)に俳句の理論や作法な どをまとめた「俳諧大要」を出版しま した。こうした、歴史的価値のある「愚陀佛庵」を愛媛県民として忘れないために、松山聖陵高校の建築科の生徒たちの協力を得て、1/100のスケールで復元いたしました。」
残念ですね😥 倒壊前の愚陀佛庵が見たかったです
さて、お腹も空いて来ましたので、ホテルの左沿いにある、アーケード商店街を物色·探検🕵️
No.11913 Day 4803