こんにちは。
ご無沙汰しています。
只今、本の執筆中で、すっかりブログを更新していませんでした。
すみません。
なんとなく、カタイ内容ですが、つぶやきたくなったので、
つぶやかせて頂きます。
よかったら、おつきあい下さい。(^O^)
* *
境界線や保護膜ということについて、考えてみました。
本来「すべては一つ」ですから、境界線や保護膜などという
分け隔てる考えは、セコイ考えで、必要ないとおっしゃるかもしれません。
私は物理学者でも科学者でもないし、
宇宙の成り立ち/仕組みを知っているわけでもないので、
これが真実だと語ることはできませんが、
「すべては波動・振動でできている」と言われています。
そして、「すべては一つ」であると。
確かに、「すべては一つ」であるという境地は、
体験上何度も垣間見てはいます。
けれど、その「全体なる一つ」を構成している
「個、一つひとつ」があることも事実です。
ミクロとマクロの世界、素粒子と宇宙のように。
すべて/全体は一つだけれど、同じではない、
多様な個で構成されているのだと。
宇宙は入れ子構造でできています。
波動・振動の視点からではなく、
人間がとらえている形という視点から、述べてみましょう。
人体を例にとってみます。
人のからだは、それで一つですが、その中では、
一つひとつの細胞がきちんと細胞膜というものを持って、
他の細胞と隣りあい、共生しています。
骨も、また内臓の一つひとつの臓器も、
ある意味それで独立していて、
きちんと形・領域を持っています。
その上で、すべてが連携して機能しています。
車一つを取り上げてみても、一つひとつの部品が違うからこそ、
車として機能するわけです。
部分部分が違うからこそ、成り立つ一つ!
すべてが違う個だからこそ面白い!
そして、それらで一つとなるところが素晴らしく、超ミラクル!
すべては、そうして成り立っている。銀河の星々が存在する宇宙も。
こんな風に考えてみると、
やはり個々が機能するための健全な境界線や保護膜は存在しているし、
必要で大切だと考えられます。
それぞれの安全や快適さを保つためにも、また健全に機能するためにも、
適度な領域/テリトリーはあってしかるべきだと。
ですから、この地球上の私たちも、
他のすべての存在/森羅万象と同じように、
一人ひとりが、なくてはならないユニークな一部分なのです。
魂が宿る「私」という意識が、ここに存在する限り・・・。
おつきあい、ありがとうございました(-^□^-)