意見の相違を直ぐ 分断 と

囃し立てるメディア。


違うだろう。

意見がそれぞれ違ったり

対立したりするのは日常的にあるのが

当たり前。


それを いちいち 分断 と言うのは

的外れで 一方で ある意味危険だ。


民主的な社会では

意見の相違を

話し合いで妥協点を見出したり

時には

多数決で 決めたりして


とにかく 折り合いをつける行為を

絶えず努力する。


分断は その折り合う努力を放棄してるかの

様な錯覚を

メディアが 煽ることで

みんなに印象づける恐れが高い。


意見の相違を

軽々しく 分断 という強い表現を

メディアは使うべきじゃ無い。


表現の自由は無制限じゃない。

民心を煽り 意図的に

或いは意図せずに 関わらず

あらぬ方向に向かわせてしまう

つまり扇動してしまう恐れが

ある言葉使いは

メディアは 厳に慎むべきだ。


メディアは中立であるべきだ などと

綺麗事を言う気は無い。


しかし 報道機関は常に公正であるべきだ。


世論誘導を 仕掛ける様なメディアは

少なくとも ジャーナリズム失格で

報道を名乗る資格は無い。


分断 分断 を書き立てる新聞

分断 分断 を繰り返すテレビ

それらは信じるに値しないメディアとして

みんなで

無視すべきだ。


人の数だけ

意見が多様なのだから

違いは

分断じゃなくて相違。


その折り合いをつける前提なのが

民主的な社会だと思う。