この頃つくづく考えてしまう。

非暴力不服従は圧倒的な武器で暴力を振るう独裁者に勝てるのか?


 民主的選挙で選ばれた国家元首が

独裁者に変貌?!する例が多い。


長い絶対君主制時代や共産主義の くびきから解放されたり

軍部独裁から民政移管になって やっと自由と民主政治を実現可能な世の中になったのに

民衆が選挙で選んだ人間が 国家元首の地位に着いた途端 法も何もかも自分に都合いい様に作り変え 独裁者に変貌してしまう

そういう事態が多過ぎる。


ロシアは その典型例だ。

アフリカ 南米 東南アジアなど途上国で

そうした例が多く見られる。

また 民主化された途端 軍部によるクーデターで民主的政権が潰される例も。

シビリアンコントロールから程遠い途上国が多いのが 政情不安につながってる。


民主化は民度が低いと なかなか進まない。

時間がかかるのだ。

その間に民衆は一向に良くならない生活に我慢しきれなくなって ポピュリズム政治家の甘言に乗って投票してしまう。

そうやって民主的選挙から独裁者が生まれてしまう。


民主化が進むには 民主派勢力が優れた指導者に恵まれるかどうかにかかってる。

こればかりは運だ。


インドはガンディーという希有な民主化指導者にめぐまれた。

いくら多くの民衆が自由と独立を求めようと

ガンディーという絶対的カリスマ指導者がいなければ

インドの独立は ずうっとずうっと後になってただろう。


非暴力不服従というガンディーの闘争方法は

ガンディーのカリスマ性が成せた技ではなかったのか?


強力な武器と圧倒的な暴力組織相手に

非暴力不服従だけで闘い続けるのは

至難と言わざるを得ない。


誤って独裁者を選挙で選んでしまったら

どうやって民主政治を回復させたらいいのか?

世界中の専制政治下で苦しむ民主派勢力が抱える切実な悩みだ。


武装した国家権力の暴力組織に どう立ち向かうのか?

暴力VS非暴力では いつまで経っても勝ち目が無いのでは?

暴力VS非暴力不服従では どうなのか?


民主派勢力が独裁者の武装暴力組織を

唯一上回る可能性があるのは《数》しかない。

数で国家権力の暴力組織に抵抗するしかない。

数で圧倒出来た時 初めて非暴力不服従が闘争方法として力を発揮する。


そうなるには かなりの犠牲者を覚悟しなきゃならない。 その覚悟が民主派勢力に生まれ

その数が拡大するには 核となる優れた指導者が必要となる。

中心となる指導者が居ないと ただの烏合の衆のままで 抵抗勢力になり得ない。


しかし 民衆から絶対的信頼と人望を得る指導者は なかなか現れない。

そうなりそうな人物が出ると 独裁者は即座に

抹殺 芽を断ってしまうからだ。


腐敗撲滅と言いながら 政敵を始末し続ける習近平しかり

自分に逆らう人物を あからさまに次々と抹殺し続けるプーチンしかり


この二人の独裁者は 少しでもカリスマ性を持つ可能性がある反対人物に対して 容赦しないという点で共通してる。

投獄して生かしておくなどという 生やさしいやり方は取らない。

独裁者は反対勢力に カリスマ性のある人物が登場するのを最も恐れる。

 

だから そうした人物は消される前に海外に逃亡する場合が多い。

海外に出てしまうと 抵抗の指導者としての影響力もカリスマ性も ほとんど薄れてしまう。


反対勢力の指導者になりそうな人物を

徹底して抹殺する独裁者のもとで 民主派勢力が取るべき闘争方法は非暴力不服従でいいのか?


それとも歴史の多くが語る様に

暴力には暴力で立ち向かうしかないのか?


独裁者の圧政下 人権も自由も 生命も尊厳も認められない恐怖政治の中 ただ息をして ただ食べて 精神を押し殺したまま生活していて

果たして 生きてると言えるのだろうか?

心ある人は苦悩してる。