8月15日 敗戦の日

終戦じゃなくて 敗戦と言うべきだ。

それが正確な表現で そう表現する事で

78年前 この国が最後には世界を相手にして

戦争に負けたという正しい認識が出来ると思う。


ずうっと違和感を強く感じて来てる。

何故敗戦と言わず 終戦と言い続けるのか?

明らかに誤魔化し ウヤムヤにぼやかすのは

関心を向けられたく無い事があって

そこから国民の目を遠ざける意図が 透けて見えて仕方がない。


誤魔化した表現を使い

国民に関心を持って欲しくない事とは?


スポーツでも何んでも 勝負事は勝ったら勝ったで 勝因を分析する。

負けたら 何故負けたか? 敗戦を繰り返さない為 その敗因を分析する。

終戦という表現を使って 負けを誤魔化し

敗因分析から国民の目を遠ざける意図が

強く働いてるとしか 終戦という表現にこだわる理由が見当たらない。


先の戦争に負けた その敗因を分析されると

困る人がいるから 誤魔化すのだろう。

普通 何んでも 大敗すると 責任者は

大敗の責任を取って辞める。

それがリーダーとしての責任の取り方の第一歩で

敗戦分析は そこから始まる。


いわゆる太平洋戦争での日本人の犠牲者は

三百万人以上 アジア全体では一千万人以上と

言われる。

自国民を三百万人以上死なせてしまった責任は

誰が先ず取るべきか?

皆んな分かってる通り

東京裁判で絞首刑に処されたA級戦犯7人ではない。


明治憲法では統帥権は天皇にあった。

つまり当時の日本の軍隊は天皇の軍隊だった。

戦争を始めるのも止めるのも 軍隊をどう動かすか 作戦を決めるのも すべて天皇が最終権限者だった。

だから皇軍と称してもいた。


統帥権をにぎる 時の元首 リーダーは

当時天皇だった。

つまり当時 敗戦の責任を取って辞めるべきだったのは昭和天皇だった。

そして皇太子に後を任せるか? 天皇制自体を止めるか? 国民の判断に委ねるべきだった。


当時昭和天皇は責任を感じて 退位するつもりだったらしいが

占領軍司令官マッカーサーに会って

退位を諦め 人間天皇を宣言するに至る。

日本の天皇が神から人間に変わった瞬間だった。


マッカーサーの強い意図が働いたのは明らかで

当時台頭し始めていた共産主義を抑え

日本の占領支配にマッカーサーは天皇を利用する考えを強く意識していた。

野心家のマッカーサーは日本の占領支配を上手くやり遂げ 次期アメリカ大統領を狙ってたと思われる。

その為に天皇を利用した訳だ。

(その後の朝鮮戦争で多数の原爆使用を訴えて

軍指導部と対立して 司令官をクビになる。)


敗戦当時の天皇にマッカーサーに逆らう力は

無かっただろう。


敗戦を終戦という 誤魔化し表現は

こうして始まったのだと思う。

実際敗戦間もない頃の新聞の中には

終戦じゃなくて敗戦と掲載していた。


しかし いつのまにか皆んな終戦とメディアは

統一されて来る。

よく戦後民主主義はアメリカがもたらした と言う人がいるが それは誤りだ。


アメリカがもたらしたのは アメリカに都合がいいモノだけで 真の民主主義制度は 一つも日本に持ち込まなかったと言うのが実態だ。


GHQによる人権弾圧 言論統制は凄まじく

とりわけ日本国民の自由に対する権利を徹底的に

弾圧した。


泣く子とGHQには逆らうな

日本の民主化は こうして捻じ曲げられたカタチで始まるという 極めて不幸なスタートが

今の民主化の遅れを生んでると言えるだろう。


言葉は認識の原点だ。

正確な表現をしないで 正しい認識は出来ない。