原始 女性は太陽だった。

マルクス主義の古典として有名な エンゲルス著

家族私有財産国家の起源 の冒頭の文章だ。

高校生の時に読んだが わたしは共産主義に傾倒しなかった。 それ以上に当時既にソ連を中心とする東欧諸国における社会主義の矛盾が明らかになりつつあって 西側諸国の資本主義の矛盾より

その大きさが際立ち始めていた。

そして 読んだ20年後にベルリンの壁が崩れた。


原始社会では母親中心の母系社会だったというエンゲルス。

誰から生まれたかは分かるが 父親が誰かは分からなかったし それは問題ではなかった。


農耕定住して私有財産が出来始めた頃から

戦争が始まり土地も含めた財産を中心に父系社会へと変化して来たとエンゲルスは言う。


従って人類は父系社会より母系社会の方が遥かに長い歴史があるって事になる。


ところが現代は父系と母系 男と女という二元論で語れない時代になった。

LGBTQなど性的マイノリティーの差別や区別を無くそう。 同性婚も認めよう。

お父さんお母さんという呼び名も死語になるかも知れない。

有史以来ぐらいから続く父系社会 男中心の社会を変えるには どうしたらいいか?

今その為の試行錯誤が始まったばかり。


ただ父系社会で男中心の社会で無くなると

世界から戦争がなくなる 少なくとも劇的に減るんじゃないか。

そして男らしさとか 女さしさという言葉も

差別用語として死語になるかも。


要は個人の尊重 ひとりひとりの人権を重んじる。 見てくれや思考性などでも差別したりしない 当たり前の事を言ってる訳で

ただしルールを守ってる限りという条件付きだ。


このルールってヤツが厄介で 時としてルール自体が公正公平ではない場合が多々ある。

伝統や言い伝え 故事などなど ルール同様の扱いで社会化日常化してるものも多い。

更に厄介なのは それらが多くの人の身体に染みついてる(わたしも)場合が多い事だ。


戦国時代 大名のそばに仕える小姓は美少年が多かった。 何故なら戦さ場に女性を連れて行けなかったからだ。

織田信長の小姓森蘭丸は有名。

昔日本は今より 遥かにおおらかだったのだ。


今スポーツの男女別開催が問題になってる。

遺伝子上は男でも精神が女の人は どっちに参加したらいいのか?

それともそれを本人の自由に任せていいのか?

いっそ男女別をやめたらいいという意見もある。

一般的に歴然と体力差があるのが事実。

医学が進歩して 女性が出産から解放され 身体の進化で体力的に男女差が無くなる未来までは

男女別のスポーツの開催でいいと思う。


男と女だけじゃなくて 多種多様いろいろな人がいた方が様々変化があって楽しい。

更に多様性は自由な社会の ある意味象徴である。

認めないのは閉塞した 息がつまって自由が制限されてる社会だ。

それが極めて危険なのはロシアを見れば分かるだろう。