富士山 桜 温泉 お城
多くの日本人が大好きなもの
ただし富士山に似た山は ご存知の通り世界中にある。 更に信仰の対象になってるのも。
花も地元だけに愛されてる花が世界中にある。
温泉しかり だいたいが古いお城は世界中で地元のシンボル的存在になってる。

 子どもの頃から不思議だった。
何故日本人は富士山が好きなのか?
何故桜がみんな好きなのか?

刷り込みの連鎖か? 親から子へ 子から孫へ
受け継がれる慣習みたいに。
気がついたら 子どもなのに普通に神社にお詣りしてた。
少し大人になってから 初めて知った。
神社には それぞれ神様が つまり信仰の対象である宗教施設だと知る。

しかし私は無神論者だ と思ってる。
特定の宗教を信仰してる訳でも無ければ、
神の存在自体信じてもいない。
だけれど富士山に向かって手を合わせる人をよく見かけるが、その気持ちが何だかわかる気がする。
原始 宗教は自然崇拝から始まったという。
その事が刷り込まれて我々に引き継がれているのか? もし そうだとしたら
生まれた時から 敵だと教えられて育ったら
事実かどうかは関係なく刷り込まれてしまう。

何が言いたいかと言えば
差別や人種・宗教対立の憎しみ、怒りが生まれる原点は どこなのかって事だ。
脳に刷り込まれた差別感、憎しみ、怒りは
早々簡単には拭い去れない。
絶え間無い民族対立、宗教紛争
誰も殺し合いなんか望んで無いのに
長く続けば続くほど 刷り込みは強くなり
対立はエスカレート 出口が見えにくくなる。

 しかしよーく見ると 民族争いも宗教対立も
歴史を振り返れば いつも権力争いの道具に利用されてる事がほとんどだと知る。
領土や資源を狙って欲の皮を突っ張ってる奴が必ず画策してる。
民族や宗教の危機を訴えながら 私腹を肥やしてる奴が必ずいる。
だから事実と真実が必ずしもいつも一緒とは限らない事に注意深くならなきゃいけない。
事実もでっち上げられたり、演出されたりするけど 一方で 寄って立つ立場が違えば変わって来るのが真実だ。
刷り込まれた脳で いくら考えようとも自力だけではバランス良くとらえる事すら出来ないから
厄介なのだ。
すると権力者に引きづられたり メディアに誘導されたり 一部のアジテーターに扇動されたりする。
だから刷り込みは とても厄介なのだ。