ゴマすりとイエスマンばかりを取り巻き幹部にすえた周近平。 プーチンの今回のウクライナ侵攻を見ても分かる通り、イエスマンばかりの結果は侵攻作戦のズサンさが示すよう、無能集団になってしまうのだ。 結果的にドジを繰り返し、民衆に不満と反発を生じさせ、ひいては権力者の交代につながる。 イエスマンばかりの登用と配置は、すなわち終わりの始まりになるのだ。 神様じゃ有るまいし、独裁者ひとりの考えなんか、たかが知れてる。 ゴマすりしか頭にない取り巻きから、建設的な意見が出る訳もなく、政権は急速に力を失って行く。 こうした事も歴史をキチンと学んでいれば誰でも分かる事。 無理が通れば道理が引っこむ、の諺がある様に、そんな状態は長くは続かないのだ。 政府や政治家を批判が出来ない独裁国家では、民衆は息をひそめて暮らし続けなければならない。 ちょっとでも批判しようものなら、秘密警察や公安警察によって、直ぐ逮捕拘禁されてしまう。 北朝鮮では子供達は学校で政府を批判したら親でも密告するよう教育されてるそうだ。 独裁国家とは秘密警察と密告の社会。 息が詰まってしまうだけでなく、人権無視の恐怖と暴力に支配された社会。 そんな社会をいつまで民衆は我慢できるか? しかし民衆が恐怖と暴力に支配された社会に果敢に立ち向かわない限り、そうした社会は変化しないのも事実。 独裁者の恐怖と暴力に立ち向かうのは容易な事じゃない。 地球の3分の2の国と地域の人々は、そうした社会に甘んじて暮らしてるという。 つまり世界は独裁者だらけという訳だ。 つき合い方が難しい《星》に我々は暮していると言えると。