スカーフすら自由に巻いたり
あるいは しない事も許されない
イランの女性たち。 

自由に唄も歌えず、バイクにも自転車にも乗る事が禁止されてるそうだ。 

完全な男尊女卑に見えるが、
イスラム教を厳格?!に実践するイランの
宗教指導者たちは人権も民主主義も全く意に介さない。

それが頭に無いのでは無く、彼らはただ自分たちの権力を維持する為にイスラム教を利用してるに過ぎない。 

何故なら、イランはパーレビ国王を追い出してイスラム宗教国家になって40年以上
一般国民は少しも豊かになってない事からだ。

それだけでなく
自由も人権も パーレビ体制下より
はるかに抑圧された生活を強いられてる。

豊富な石油資源を独り占めしたパーレビを駆逐したのに、その富は国民に回らずに、何処に行ってしまったのか?

イラン国民はバカじゃない。 いつまでも貧しいままにする原因に
殆どの国民がもう気づいている。

あのイスラム革命が自分たちを
より不自由に、より貧しくさせてる事を。 

だから、鬱積した不満が
ヒジャブの身につけ方で命を失った女性の事件だけれど、広範なデモに発展したりする。

パーレビの搾取から解放されたのに
今度は宗教指導者によって
パーレビ暗黒時代以上に搾取され
暴力と恐怖で支配される事に

少なくとも パーレビ時代には
女性の服装は自由だった。
ヒジャブをするもしないも 自由だった。

パーレビを追い出したら
パーレビ時代より自由のない酷い状況下にあるイラン。
反政府デモが弾圧されるのは
パーレビ時代も今も 何んら変わらない。

パーレビ国王の圧政を打倒したのは
確かにイラン国民だったが
それを後押しして 団結させたのは
ホメイニを始めとするイスラム教宗教指導者たちだった。

しかしそのホメイニ師を国家のトップに
据えた為に
イランは民主化されず
パーレビ打倒は革命ではなくて
独裁者が代わっただけの政変
つまり クーデターとなってしまった。

イラン革命という表現は誤りで
政権を市民が握った訳じゃないのだ。

政治を宗教家に委ねるとは
まるで 歴史が逆流したかの様な結果は
その後のイラン国民に
苦難の暮らしを強いている。

自由も民主主義も人権も無い そんなイランは
国王を打倒した途端
独裁者と化したイスラム教宗教指導者によって
何も変わらないどころか
パーレビ時代以上に抑圧される事となった。

宗教を信仰するのと
実際の政治を混同した所に
イラン国民の悲劇の源がある。

自由と民主主義 人権尊重の思想は
厳格なイスラム宗教とは相入れない。

もしイラン国民が自由を真に求めるなら
政教分離の上 イスラム教信仰の厳格さ加減を
自由と民主主義 人権尊重に合わせて
緩やかに変える必要がある。

国民に銃を向け 容赦なく発泡する政府を
絶対に認めてはならない。
宗教の名のもと
秩序や平和を唱える者の
その裏に隠されてる偽善を見逃しては
ならない。

彼らの秩序や平和は
彼らにとっての秩序や平和であって
🟰権力維持の為の方便に過ぎないって事を
見過ごしてはならない。

宗教に騙されるな!
平和の宗教などという お題目に
騙されるな!
信仰の名のもと 人殺しを認める宗教に
騙されてはならない。

心を他者に盗まれ 操られてはならない。

多くの尊い血の犠牲と長い時間をかけて
人類が獲得して来た 
自由と民主主義 人権尊重を

権力維持の道具と化した宗教何んかに
邪魔させてなるもんか!

今 人類は権威主義と民主主義の戦いの
真っ最中だが
他方 同時に
宗教と自由の戦いの真っ最中でもある。

自由と民主主義の為に戦う
人類は なかなか進歩しない動物なのが
よく分かる。