H君、A子さんからの

花束とイタリアン

 

 

 

 

昨夜、H君・A子さん夫婦を

わが家へご招待し、イタリアンレストランで

ディナーを食しました

 

 

ウチの嫁はんが長短期間の入院を繰り返し、

帰宅後、1か月間は家事も出来なかったけど

今は家事も出来、趣味のフラダンスまで

こなすようになりました。

 

 

先日の検診結果もガンは2カ所に存在してる

けど、今のところ、大人しくしているので

幸いです

 

 

まあ、そんなこんなで、日常を取り戻した

毎日の中、落ち込んでた私を励まして

くれたH君・A子さん夫婦と楽しい

ひと時を過ごさせていただきました

 

 

以下は

自宅から少し離れた、イタリアンでの

あれこれ写真です

 

 

 

コース料理にしました

 

 

 

ホタテスープ

 

 

 

 

菜の花と?の冷製パスタ

 

 

 

 

手長エビパスタ

 

 

 

 

これは、何だったかな?

 

 

 

 

これは、骨付きの牛肉料理でしたね

 

 

 

 

デザートも美味しかったです

 

 

 

全ての写真は撮ってませんが

まあまあでしたね

 

 

 

 

何回か記していますが、

H君とは小学校時代からの幼馴染なので、

A子さん共々、独身時代から知っとります

 

 

 

 

小5~6年ぐらい

 

 

高1ぐらい

 

 

 

 

出席した結婚式、もう、50年以上も

前の話ですわ

 

 

 

H君の父Kさんは、大正生まれの

宝飾品制作職人さんで、典型的な

職人カタギと言うか、自分の意のままに

ならなかったら、子供も容赦しません

 

 

職人に教育は不要、なので、中学出たら

彫金修行へ行け!

 

 

対して、せめて、高校を出たいH君

 

 

そんなこと言うんやったら出て行け!

 

 

H君、止む無く家を出て、3畳ひと間の

下宿アパート暮らしが3~4年?ほど

続きましたね

 

 

この時のH君は苦労しました

 

 

日常の仕事は彫金なのですが、まだ、

修行期間なので収入にはつながりません

 

 

また、高校は夜間なので、昼夜とも収入を

得る時間や術がなかったのですが、、。

 

 

彼なりに見つけてきたのが

早朝からの牛乳配達と新聞配達を

掛け持ちでした

それに加え、合間をぬってのコイル巻きの

内職、などなど

 

これらで、生活費を稼ぎ、

この年齢で自立していたことは立派で

ハングリーな少年時代だったと思いますよ

 

 

なので、

 

今でも早起きは苦にならないのは

この体験からだと思いますよ

 

 

やがて、時が流れ、、。

 

 

家へ戻る決意をしたH君、私も伴い

親父さんのKさんに詫びを入れました

 

 

「家へ戻るんなら頭を丸めてこい!」が

条件でしたが、H君は泣く泣くこれに

従いました

 

 

やがて、親父のKさんとも雪解けし、自宅へ

戻ってからのHくんは彫金の腕も上げ、

経済的にも順風満帆になりましたね

 

 

今は工房の主軸も3代目の息子さんTさん

なのですが、H君は引退せず、まだまだ

頑張るらしいのでエールを送りたいと

思います

 

 

A子さんからいただいたお花です

早速、花瓶に活けました

 

 

部屋がパッと明るくなりますね~

 

 

ウチのん曰く、麻ひも買って来て

行く行くはドライフラワーにして

飾るらしい

 

 

感謝、感謝

 

 

 

 

おしまい