生駒山の駒とは?
今日の生駒山ですが、どんより曇ってますわ
曇り空に反してサクラピンクが
目立つようになってきました
中腹のポツンとサクラをズームしてみました
かなり大きな木だと思いますよ
ただ、
ここへは登山道も無く行けないですね
時々登る枚岡山の展望台をズーム
ここのサクラも咲いて来ましたね
大阪を代表する山は金剛山と生駒山です
府下の校歌にも、この二つの山が歌詞に
よく登場しますね
大阪府エリアの明治以前は
・摂津国(せっつのくに)大阪市内~神戸
・和泉国(いずみのくに)堺市~岬町
・河内国(かわちのくに)枚方~南河内郡
に分かれていましたので
オラが山になると
摂津国は生駒山か六甲の山並み
和泉国では葛城山
河内国では生駒山、金剛山
だったと思いますよ
さて、生駒山、かつては
膽駒山
↓
射駒山・伊駒山
↓
伊故麻山・生馬山
↓
生駒山
へと変わってきましたが、
その名の中心は「駒」
でした。
「駒」は「馬」を
指します。
先日のNHKの特番でもやってましたが
3世紀の日本には馬はいませんでした
このことは、「魏志倭人伝」にも書かれて
いるようです
「倭」(わ)は当時の日本のことで
他国との最初の戦争は朝鮮半島にあった
高句麗との戦いで、西暦391~404年の
13年間も戦ったようです
戦争になった背景はカットしますが
戦場は朝鮮半島で、倭の敗北に終わります
敗因は「馬」で、馬に乗った高句麗の騎馬軍
には勝てなかったようです。
これではいけないということで
倭も馬を輸入し、育てるという時代に
移ります
当時の馬はポニーのような小さな馬だった
ようですが、渡来人もやってきて
飼育などの教示をうけたようですね
この場所のひとつが生駒山の裾野で
今でも残る瓢箪山の小さな古墳が
物語っており、特別な待遇を受けて
いたと思われます
言い伝えでは、、。
「生駒山にいつのころであろうか、唐土より
倭国へ駒(馬)がやってきた、山に放して
みれば、駒たち勇み気負って、病気だった
駒も生き返ったので、生駒山と名づけ
られたのである」と名前の由来が伝わって
います
この「騎馬文化」はこれ以降の日本の
歴史には欠かせないものとなりますね
さてさて、
今日は何の日???
選ぶなら、つぶあん派?こしあん派?
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