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<花園の歴史>
花園ラグビー場は古く
100年近い歴史がありますよ。
◆1926年 (昭和元年)
大阪府中河内郡英田村(当時)の
大阪電気軌道(大軌)社用地に花園競馬場
が開場するも、数回の開催を行ったのみで
閉鎖。
◆1928年(昭和3年)
競馬場跡地にラグビー場の建設を決定。
ラグビー愛好家でもあった秩父宮雍仁親王が
橿原神宮参拝のため大軌に乗車した際、
大軌の関係者に「この辺に今台頭しつつある
ラグビーの専用競技場を作ったらどうか」
との言葉があったことがきっかけだと
言われている。
◆1929年(昭和4年)11月22日
大軌花園ラグビー運動場が開場。
開場式には秩父宮雍仁親王と勢津子妃が
臨席している。
◆1939年(昭和14年)
第2グランドに400メートル陸上トラック
および2000人収容の木製観客席が作られた。
9月29日に10周年記念試合開催
同志社大対関西ラグビークラブと
京都帝国大対大阪帝国大が行われた。
◆1943年(昭和18年)1月7日
同志社大対慶應義塾大定期戦が戦前最後の
花園での大学対抗ラグビーとなる。
◆戦時中
花園練成場と名を変え、パイロットの
初等訓練施設に転用された。
またメインスタンド上屋は軍需物資として
供出するため撤去された。
また戦争末期には食料増産のため農場と
なった。
◆1945年(昭和20年)
~1949年(昭和24年)
進駐軍(米軍第98師団)に接収され、
アメリカンフットボールに使用される。
またスタンド内部は倉庫にされた。
翌1946年4月に近鉄ラグビー部の部員達
が復員し活動を再開するがホームグラウンド
である花園ラグビー場は使用できなかった。
ただし1947年には米軍の許可を得て
全国高専ラグビー大会が実施された
(スタンド内部には入れず)。
1949年に 進駐軍の接収が解除される。
◆1952年(昭和27年)
ラグビー界50年来の夢が実現し、オックス
フォード大学と全日本軍が対戦。
このとき、オックスフォード大学の選手から
「世界でトゥイッケナムに次ぐ
グラウンドだ」と花園ラグビー場が
讃嘆された。
◆1953年(昭和28年)
この年の5月より「花園ゴルフ場」開設。
第2・第3グラウンドをゴルフ場にして、
第1グラウンドは打ちっぱなしにした。
当時のゴルフブームに乗り、大阪市内から
10数分で行けるのでヒットした。
◆1963年(昭和38年)
この年より全国高等学校ラグビーフット
ボール大会に使用されるようになり、
以後定着。
◆1969年(昭和44年)3月21日
40周年記念試合開催(近鉄対早稲田大)。
◆1979年(昭和54年)
開場50周年を記念して土盛りだった
バックスタンドをコンクリート製に改造、
スタンド内外の諸設備が改修された。
総工費は約3億円(当時)。
また9月11日に50周年記念試合開催
(近鉄対ケンブリッジ大)。
◆1981年(昭和56年)
ロックバンド「甲斐バンド」が初めて
ライヴ会場として花園ラグビー場を使用。
◆1982年((昭和57年)
名称が「花園ラグビー場」から
「近鉄花園ラグビー場」となる。
◆1989年(平成元年)10月22日
60周年記念試合開催(近鉄対三洋電機)。
◆1991年(平成3年)
メインスタジアムが改修され、収容人数が
1万2000人から3万人に拡張される。
◆1999年(平成11年)5月23日
70周年記念試合開催(近鉄対三洋電機)。
◆2014年(平成26年)
施設所有者の近畿日本鉄道が近鉄花園
ラグビー場を東大阪市に譲渡する方向で
あることが報道された。
◆2015年(平成27年)4月1日
東大阪市に第1グランド・第2グランドの
所有権を譲り名称を
「東大阪市花園ラグビー場」に変更。
◆2017年(平成29年)11月2日
「ラグビーワールドカップ2019 日本大会」
の試合日程が決まり、東大阪市花園ラグビー
場での開幕戦は9月22日「イタリア代表vs
アフリカ地区1(ナミビア代表)戦」に決定。
◆2019年(令和元年)9月
ラグビーワールドカップ2019日本大会開幕。
◆2020年(令和2年)11月26日
東大阪市はラグビーワールドカップ2019の
東大阪市花園ラグビー場での開幕戦が
行われた9月22日を毎年
「花園ラグビーの日」に
すると発表した。
以上。