舞いあがれ!

東大阪市!

その2

 

 

しかし、昨日から寒いですわ。

わが家、マンションでも上階が無いので

冷えます。

13.5℃ですね。

 

 

 

(画像の全てはお借りしました)

 

 

 

 

 

わが街、東大阪市出身の

文化人を紹介します。

 

 

 

●山中伸弥教授

 

何と言っても、ダントツは世界に誇る

山中伸弥教授で、言うまでもなく、

IPS細胞でノーベル生理学・医学賞を

取られた方です。

 

旧枚岡市(現東大阪市)の出身で、枚岡

東小学校へ3年生まで通学され、

その後、転宅した為、奈良市の青和小学校

へ転校されました。

 

 

ご実家は従業員が5~6人の小さな

町工場で、ミシンを製造していたようです。

 

残念ながらお父さんは早くに他界され

ましたが、お母様はノーベル賞受賞後に

お亡くなりになりました。

 

 

 

●司馬遼太郎氏

 (本名:福田定一)

 

大阪市浪速区の出身ですが、

1964年(昭和39年)から旧布施市へ

転居し、亡くなるまで当地で

お住まいでした。

 

 

 

 

代表作は言わずと知れた「竜馬が行く」

「国盗り物語」で、作家生活の大半を

市内で過ごされ、各種文学賞や

文化勲章などを受章されています。

 

平成13年に司馬遼太郎記念財団が

運営する記念館がオープンし、全国から

多くの方々が来館されています。

 

 

 

 

 

●塩川正十郎氏

(まさじゅうろう)

 

1921年(大正10年)生まれで、

晩年の愛称は「塩爺」シオジイでした。

 

お父さんは旧布施市の市長でしたね。

 

先生は慶応ボーイの頃、学徒出陣

として出征も経験しておられます。

 

1967年(昭和42年)に衆議院に当選

したのが国政を担うスタートでした。

 

その後、運輸大臣、文部大臣、内閣官房

長官を経て、小泉内閣では財務大臣を

務めました。

 

 

残念ながら、2015年(平成27年)に

93歳で亡くなられました。

 

葬儀では小泉前首相が泣きながら弔辞を

読んでおられたのが記憶に新しいです。

 

思い起こせば、衆議院時代には

「塩川青年会」なるものが組織されました。

 

当時、20歳過ぎの私も入会していたので、

塩川先生の国会報告会を拝聴するために

集会へ参加したものでした。

 

その頃から先生は絶大な人気で、

報告会には多数の支持者が集まり、

終わると一人一人と握手を交わして

いましたね。

 

むろん、その頃の私も握手を

しましたが、握力が強めで、やる気に

溢れていたようでした。

 

それに先生、体格が立派で180㎝

近くはあった思います。

 

時は流れ、

 

この方の孫にあたる平成元年生まれ、

同じく、慶応ボーイの塩川憲史さんが

府議会議員として活躍しています。

 

 

 

それまでは、

小泉進次郎事務所にていろいろと

修行を積んでおられたようで、これから

が楽しみですね。

 

 

 

 

●井山裕太氏

 

国民栄誉賞を受賞した

囲碁チャンプの井山裕太氏で、

若干28歳でしたよ。

 

 

そもそも、囲碁を始めたきっかけは

TVゲーム囲碁で興味をもち、

アマチュア高段者であった

おじいちゃんの特訓を受け、

めきめき上達したとのこと。

 

 

小中学生対象の

「少年少女囲碁全国大会」で

何と、小学2年生で優勝しました。

 

その後、東大阪市立孔舎衙(くさか)

中学校1年生でプロになったという

神童です。

 

1989年のお生まれなので、今年で

33歳ながら、名誉称号として

名誉棋聖 二十六世本因坊

名誉天元 名誉棋聖

段位は九段です。

 

 

 

●田辺聖子

 

東大阪市出身ではありませんが、

司馬遼太郎氏と同様、市との結びつきが

深いのです。

 

 

1928年大阪市に生まれました。

 

大阪の風俗文化に深く親しみながら育った

ことが、のちの作風に影響を与えています。

 

当時の樟蔭女子専門学校国文科(東大阪市)

を卒業後、 大阪の金物問屋に勤めながら

文芸同人の『文芸首都』『大阪文学』に

参加し、『花狩』はラジオドラマに

採用され放送作家となった時期も

あったようです。

 

 

1956年、大阪市民文芸賞を受賞して

からは本格的な作家活動に入り、

恋愛をテーマにした小説や大阪弁を

用いた一種の方言文学の制作に

取り組みました。

 

同じ大阪出身の歴史小説家である

司馬遼太郎とも親睦を結んでいるほか、

2006年にはエッセイなどをもとにした

NHK朝の連続テレビ小説

『芋たこなんきん』が作られました。

 

2007年に母校の大阪樟蔭女子大学内に

田辺聖子文学館が開館しています。

 

 

長年の執筆活動を称えて、2008年に

文化勲章を授与されました。

 

残念ながら、2019年91歳で

亡くなられました。

 

 

つづく。