瓢箪山稲荷へ

行ってみた。

 

震度6強!

 

東北の人たち、驚いたと思う。

 

東北新幹線の脱線も

幸い、乗客には

被害も無く、良かった。

 

災害、取り分け地震の多い、日本。

 

殆どトンネルの中を通過するリニア

新幹線、あんなの必要あるのかと

前々から思っている。

 

昔、交通安全の標語で

こんなのがあった。

 

「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」

 

2037年、東京大阪間を時速505キロ、

67分で結ぶと言うが、こんな恐ろしい

乗物、私は、怖くて乗れない。

 

もっとも2037年には、多分、生きていない。

 

今日は、朝から3カ月に1度の

歯医者さんへ。

 

治療では無く、歯のクリーニングである。

いつもは、徒歩で30分なのだが、

あいにくの雨なので、クルマで行った。

 

 

さて、話は瓢箪山稲荷神社へシフト。

昨日、久し振りに行ってみた。

 

このお稲荷さんは、近鉄奈良線瓢箪山駅

下車し、駅前商店街を南へ50m行くと

左に鳥居があり、これをくぐり、突き当り

が本社である。

 

 

創建は天正11年(1583年)。

羽柴秀吉が大坂城築城にあたり、巽の方

(大坂城の南東)三里の地に鎮護神として

伏見城から「ふくべ稲荷」を勧請したことが

由緒とされている。

 

ここで、ふと感じたこと。

太閤さんの馬印である「千成瓢箪」

との関係は?

 

 

 現在の本殿は、慶応2年(1866年)に

建てられたものである。

 

 

神社本殿の背後にある小丘は、通称

「瓢箪山古墳」とよばれる、

 

古墳時代後期・6世紀末ごろに作られた

双円墳で、北側を大塚(狐塚)、南側を

鬼塚と呼ぶ。

 

山畑古墳群の中で最大・最古のもの。

そのヒョウタンに似た形状から、古墳および

一帯の地名が「瓢箪山」と呼ばれる

ようになった。

 

なので、前述にあった太閤さんの

千成瓢箪とは無関係なのだと思う。

 

辻占について。

 

江戸時代から近くの東高野街道において

辻占いの風習があったが、明治時代初め

ごろに宮司が「辻占」を創始し、

「淡路島かよふ千鳥の河内ひょうたん山

恋の辻占」として日本全国に知られる

ようになった。

 

神社裏側から撮影。

小高い丘、ここが古墳であったことが

分かる。

以前のブログでも書いたが、

この辺りは渡来人の古墳が

多く、馬に携わる人たちが居を

構えていたと言われている。

 

 

神社庁からは

このようなポスターが

配布されている。

 

セールスの世界で

よく用いられた言葉である。

 

 

ウクライナのこと、露中についても

山ほど書きたいことがあるのだが、

ヒートアップするので

やめとこ。

 

言えることは、日本も攻め込まれる

リスクが高く、もっと 危機感を

持たないとね。。

 

おしまい。