昔の大坂地図

温故知新

 

古きを訪ね

新しくを知る

 

 

 

 

以下は、摂津大坂(現在の大阪市周辺)

地図で、国会図書館からダウンロードした

ものである。

これが、作成されたのが1715年

(正徳5年)。

この時代、赤穂浪士の討入、富士山の噴火が

などがあり、徳川吉宗、新井白石、尾形光琳が

在命の時代であった。

私が調べた限り、絵図が多い当時としては

完成度の高い地図だと思う。

 

伊能忠敬が日本地図を完成させたのが、

1816年なので、ここから100年後となる。

 

 

この地図、ダウンロードさえすれば、いくらでも

拡大できる。 大坂城、四天王寺、北御堂、

南御堂、戎橋、日本橋の位置関係から

街並みの概要が理解できる。

 

当時の大坂の市街地は、今の大阪より

小さく、現在の中央区エリアであった。

 

 

さらに80年後の1806年(文化3年)

作成された地図の一部であるが、ここでは

「大坂」では無く、「大阪」となっている。

明治前までは「坂」で、それ以降は

「阪」だと思っていたが、そうでは無かった

ということになる。

最初の地図と比べると、街並みが大きく

なっているのが分かる。

 

 

 

 

 

 

 

続いては1894年(明治27年)の

近代大阪の地図の一部である。

 

この地図を見ると、まだ鉄道が敷かれて

いない時代のようで、堂島以北は

野原や田畑である。

 

 

 

 

 

このころの大阪市を現在の地図に

当てはめると、以下のエリアになり、

当時の大阪市がいかに小さかったかが

分かる。

中央区を中心にし、北区、西区、浪速区

の一部に渡る範囲である。

 

この種の資料を含め、あらゆる分野での

情報収集には便利なサイトである。

 

↓  ↓  ↓

 

国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

 

おしまい。