戦前の登山写真を

再現化

親友のH君から古い写真を預かった。

彼の親父さんの独身時代の写真である。

 

この方、登山が趣味だったようで、

「大阪タカツ倶楽部」というところへ入会し、

青春を大いに楽しんでいたようだ。

 

むろん、今はこの倶楽部も親父さんもいない。

写真は2LサイズとL版の中間サイズ、

昭和13~14年でこのサイズの写真を

撮ったということは、親父さん、相当高額な

カメラを持っていたようだ。

何でもカメラ撮影と機関誌の発行を担当して

いたようだ。

 

 

何れも青春の一コマで、趣味が合う仲間が

集うことは現代でも同様である。

 

この写真では、木の上に登っている左端が親父さんらしいが、

こんな細い木の上に上がれるわけもないので、不思議な

写真である。

憶測ながら、この木々の後ろに石垣か何かがあり、ここに

上がっていたのだと思う。

当時、画像加工はできないので、80年間の経年劣化で

背景が消えてしまったと推測する。

シミも多く、これを取り除き、カラー化してみた。

 

画像が小さくなるが、意外ときれいにカラー化できた。

旗らしきものがなびいている。

文字を読み取ると、「祝 武漢占領」とあり、当時の時代背景を

物語る。

このころから、日本は戦争へとまっしぐらに進み、この方たちの

中にも戦死した方も随分いたと思われる。

 

「タカツ」の旗の前にいる女性が、H君の亡き母親である。

親父さんとの出会いが、この「大阪タカツ倶楽部」であったようだ。

現在と違い、女性が登山を趣味にし、男性主体のこの種の

倶楽部に入会するには勇気のいることで、快活な女性だった

ことがうかがわれる。

それに、この時代は、まだまだ、女人禁制のところが随分あった

かと思う。

今や男女の構成比が逆転しており、私が代表している

筋トレクラブでも8対2で女性が圧倒している。

時代の移ろいは女性を強くするもんだ。

 

 

これもカラー化してみた。

今の登山と違い、動きやすい服装ではない。

中にはネクタイをしている人もいるようだが、みなさん、

足元にはゲートルを巻いている。

 

 

旗を持っている女性が母親で、となりにぴったりの帽子の

男性が親父さんらしい。

全ての写真に地名などを記載しており、京阪神エリアの

登山だったことが判明した。

ただ、そんなに高い山ではないので、現在、周辺は

住宅街になっているところも少なく無いかも知れない。

 

この写真の人たちが、ご存命なら105歳前後になる。

 

 

この写真の背景、かなり劣化しており、後方の帽子の方が

消えかけている。

このころに、黒いマスク?をしている人がいる。

たまたま、劣化シミがここに付いてしまったのか?

う~ん、分からない。

 

 

背景も画像調整したので、山々だということが分かった。

 

これもカラー化してみた。

しかし、この頃、これだけの人数で移動するだけでも

大変だったと思う。

 

この頃の神戸・大阪をYouTubeで紹介する。

 

 

この登山の会「タカツ倶楽部」は戦争の激化と共に活動が

休止し、戦後には再開したそうだが、冒頭に記したように

今は無い。

 

私もそうだが、親や祖父母がどういう人生を送ってきたのか?

断片的なことは分かるが、細かなことまでは分からない。

今になっては、知りたくても、知る術もない。

むろん、自分が若いときにもっと聞いておけば、良かったのだが、その頃は、親の過去、ましてや祖父母の過去など、興味も

無かったことを反省している自分がいる。

 

なので、人生年表なるものを作成すれば、末代まで伝えられる

ので、いいかも知れないな。

 

おしまい。