東高野街道を行く

 

自宅の近くに旧街道である東高野街道がある。

 

京都から高野山への参詣道として用いられた街道である。

 

起点である京都府八幡市で京街道(大坂街道)と別れ、

河内の国の東部を通り、河内長野市で西高野街道と合流し、

以南は高野街道として紀見峠.橋本.高野山へ至る。

 

 

 

 

 

 

この街道の一部は、一方通行ながら、今でも近鉄バスが行き交う。

この街道と並行して新しい国道が敷かれたが、大部分は拡幅し、

そのまま国道170号線として利用されている。

 

昭和40年代になってから、この国道170号線に代わり、

新170号線として新道が作られた。

いわゆる、外環状線で、中央環状線と並び、大阪の南北を結ぶ

大動脈である。

 

 

しかし、今日は気温が高くはないのだが、むしむしする。

 

 

昔の街道らしく、このような宮が点在する。

 

この街道筋に鳥居が建っている。

 

これは元春日である枚岡神社の鳥居である。

ここからが参道であることを示しているが、神社は

1キロ先である。

 

そう、元春日とは以前のブログにも記したが、この神社から

分祀し、あの世界遺産である春日大社ができたのだ。

ということは、どれほど古いのかが分かると思う。

 

この神社、河内の国の一の宮で、日本書紀にも記されている。

初代天皇である神武天皇が即位される3年前にできたと

伝えられており、神話の時代まで遡ることになる。

 

 

なので、この鳥居の横にこのような石碑が建ててある。

「官幣大社」とあるが、これは明治時代に制定された

「近代社格制度」により決められた神社の格付けである。

この制度は、昭和21年にGHQの神道指示により廃止されたが、

現在でも格を表す目安として受け継がれている。

 

この官幣社という位置づけは、大阪府では12社しかないので、

格が高いことが分かる。

 

 

 

 

 

 

街道筋の店舗の軒下にはツバメの子育てが見られる。

 

 

親が来ると盛んに鳴く子ツバメ。

この後、トンボを口に入れられたが、なかなか呑めなく

苦戦していた。

ツバメだけでなく、鳥類のひなの口は蛍光色に近い黄色で、

これが開くと丸いリングに見えるらしい。

親鳥がこれをめがけて餌を入れてるようであることが最近の

研究で分かってきたようである。

 

 

今日はこの街道を8,200歩。

まだ、元の体重に戻らない。

年齢と共に代謝も悪くなるので、自己管理しないとねぇ。

 

今、速報が。。。

大阪のコロナ1名だった。

今日もゼロを期待したが、やっぱり難しいのかな。

 

そう、今日はコロナより青葉容疑者のニュースが多かった。

それにしても、高度で高額な治療を受け、やっと逮捕という

手続きへ進んだ京アニ放火事件。

全容の解明がこれから進むと思うが、こういう凶悪事件が

発生するといつも思うのが、犠牲者は帰ってこないと

いうことだ。

よく言われるのが、罪を償うという言葉。

極刑にしろ懲役刑にしろ、これに私は違和感を感じる。

犠牲になった本人、遺族は「犯人は罪を償う」という表現で

納得できるわけが無い。

 

はい、おしまい。