大阪ミナミへの輪行
近所のコンビニの赤色灯にツバメの巣が。。。
それにしても、すごい場所に巣を作ったもんだ。
よく見ると、ヒナが結構大きいので巣立も近い
のでは、、、と店員の方と談笑。
翌日、見に行くと、予想的中でもう巣立っていた。
  
 
大阪ミナミまで輪行してみた。
最寄駅から地下鉄本町駅まで鉄道移動で25分。
本町駅は大阪の代表ターミナルである梅田と難波、
すなわちキタエリア、ミナミエリアの中間地点に
位置し、御堂筋を中央にするビジネス街である。
結構、混雑していたがラッシュ時ではないので
自転車の移動をスムーズにできた。
 
本町駅のトイレへ。
綺麗になっているのでびっくりした。
全ての大阪地下鉄駅のトイレを見たわけではないが、
この本町駅がかなり遅れていたので、多分、全駅の
トイレ改修が終わっているものと思う。
 
今や大阪は海外からの観光客の京都・奈良への起点に
なっており、ショッピングに食事には最高の場所と言える。
ので、ここ数年でキタ・ミナミには外人が増えた。
 
暑い御堂筋。
 今は一方通行だが昔はそうではなかった。
一方通行になるという日に友人たちと車でくり出し、
日付が変わる12:00には歴史的瞬間を体験した。
いや~懐かしい思い出だ。
調べると大阪万博のあった1970年のことだった。
 この一方通行化は御堂筋だけでは無く、渋滞
緩和策として、松屋町筋、堺筋、四ツ橋筋も同時期に行われた。
 御堂筋沿いにある難波神社。
 テスラのショールーム
 
フェラーリのショールーム
 この隣にベントレーのショールームがある。
 あと、御堂筋にはマクラーレンそれにランボルギーニ
というスーパーカーのショールームもある。
 
四ツ橋側からの道頓堀へさしかかる。
ここは道頓堀の西側にある端っこで、ラブホエリアだ。
 
 現役の頃、よくいった難波の居酒屋「佐海屋 旭」さん。
この店、食べログでは上位にきている。
場所も地下鉄なんば駅から徒歩1分にある。
 居酒屋がメインだが、ランチもおいしいので久しぶりに行ってみた。
水ナス&おつくりの定食で900円。
この大阪の泉州名物水ナスがたまらなく美味しい。
 ◆水ナスの詳しくはコチラ
 昔は地元消費だったが、今や全国区になりつつある高級野菜の
ひとつだ。
これを浅漬けし、土ショウガに醤油をかけて食べるのが
定番の食べ方。
特に薄皮の水ナスが高級らしい。
 さて、ランチを食べ終え、外へ出てみると自転車がない。
やられた!
 一応、盗難保険は入っているが、所轄警察への盗難届など、
手続きが面倒だなあ~と頭をよぎった。
 その後、周囲をさがすこと1~2分、するとあった!
ここのビル敷地外に放り出され、国道沿いの歩道隅っこ
あった。 あ~よかった。
多分、このビルの警備員が移動させたんだろうと思う。
 ここから自転車で10分弱の有名な黒門市場へ。
この市場の歴史は古く明治時代からここにある。
年末になると人でごったかえす大阪風情の一つである。
  この辺は市場の南端なので空いているが、中心部はいっぱいだ。
 
暑いのでかき氷に列をなす海外からの観光客。
数年前なら、この辺までは商売がきかない場所だったが、
こんな端っこまで人が来ているのだ。
 ◆黒門市場の詳細はコチラ
  立派なホームページだ。  http://www.kuromon.com/
そもそも、黒門市場は現在のように食べ歩きができる
お店の集合体ではなく、いわゆる海産物などを扱う
小売りを主体とした市場商店街であり、一部は業者
向けにも販売している。
ところが、今は海外からのツアー先にもなっており、
マグロや焼き肉を店頭で食することができるという
屋台村的に変化しており、どこかのアジア圏に
ある国と大差が無くなってきているように感じる。
関西ではこの市場の模様をTVで放送されるが、
一部観光客のマナーの悪さに業者が嘆いている。
しかし、売上貢献度が高いこともあり、背に腹は
代えられないのが現状のようだ。
ここから上本町~鶴橋へ。
 ここはJR環状線の鶴橋駅。
あと近鉄鶴橋、大阪地下鉄鶴橋と3駅がある。
 言わずと知れた焼き肉というか、ホルモン焼きのメッカだ。
この駅前から焼き肉街が続く。
  
 駅近くの鶴橋商店街。 聞いた話だが。。。
このエリアの歴史背景は戦後の闇市にある。
この闇市が発展したことが、商店街の成り立ちである。
近鉄布施駅南口商店街の一部エリアも戦後の闇市後で
そのまま発展したらしい。
そう考えると日本全国には焼跡の闇市が多数あった
ようなので、当時は占拠したモン勝ちだったかもしれない。
 
 
初めて見た。 この辺でのお祭りなのか、ダンジリが走っている。
 
 
ここは「今里交差点」。
車に乗る大阪在住の方ならだれでも知っている有名な
交差点で、要の道路が五差路交差している。
私が小学2~3年生の期間に通学していた学校がこの
近くにある。
その頃、この交差点の中央に花壇があり、当時は「今里ロータリー」と
呼んでいた。
調べると、このころの車両交通量の増加にともないロータリー方式から
通常の交差点になったようだ。
 
 
 
 
通称「産業道路」を今里交差点から東へ向うと内環状線との交差点に出る。
この交差点が「新深江」で、コクヨの本社があるところ。
昔は国誉」(コクヨ)だったそうな。
私の家がこの近くだったので、工場があったのを憶えている。
調べるとこの場所での操業は昭和11年(1936年)なので、
私が記憶しているコクヨは昭和33年ぐらいなので、すでに
20年以上は経過していたのだ。
創業は天王寺区の小橋(オバセ)付近と聞いたことがある。
 
 
イメージ 3
 
ここが大阪市東成区の新深江交差点。
左右が内環状線で、大阪の動脈道路である。
 
イメージ 4
 
 
コクヨ本社の東側にあり、新深江交差点そばに「本六児童遊園」と
いうのがある。
昔の名称は「本六公園」で、写真のような遊具も無く、もっと
広かったので、ビー玉でよく遊んだ思い出がある。
狭くなったのは、すぐ前の幹線道路である内環状線への拡張
よるものである
当時の道幅は今の四分の一もなかった。
 
これは当時の写真(昭和33~34年)で、子供が多い時代。
撮影はこの公園横で、一帯の町内会を「本六会」と呼んで
いたようで、私も写っている。
このような立派なダンジリもあったようだが、今は、どうなって
いるのかは分からない。
 
 
イメージ 5
 
後日、作成予定の本ブログのカテゴリータイトル「良き時代、昭和」
クリックすると昭和30年代詳細を掲載している。
 
この日は約20キロのポタリングだった。
 
以上