渦の街歴史散策 ~鳴門へ パートⅠ~ | 歴史男子(半ちゃん)が語る日常と歴史ロマン記

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歴史好き男子が好きなこと(歴史、マラソン、旅行etc)つぶやいています♪

最近、城跡巡り記事が溜まっていたのでσ(^_^;)

一気に書いていましたが、本日はまさに今日行ってきた鳴門散策記事を音譜


皆様ビックリマーク

鳴門と言えば何を思い出しますでしょうかはてなマーク


やはり、渦潮台風


最近では、J2降格しましたが、サッカーのヴォルティス徳島は、鳴門がホームになりますビックリマーク


それとプチブームはてなマークになっているかも分かりませんが…『鳴るちゅるうどん』

↑鳴るちゅるうどんとは、麺にコシが無いと言う、うどんの概念を全く無視したσ(^_^;)うどんです音譜

  あっさり味で結構美味しいし、あっさりした温かいものが食べたい時には最高の一品です(≧▽≦)



とまあ、いろいろあるのですが、早速に鳴門へGo音譜



まずは妙見山(撫養城跡)へ車

あれ車で行ったのはてなマーク

となりそうですが、家からここまでは、片道で25km以上あるのであせる

さすがに走る人はムリです(笑)


と言いながら、車で妙見山まで行ってからは、鳴門市内を走る人で名所巡りしてきました音譜







ちなみに本日時点では、模擬天守への立ち入り禁止となっていましたあせる

撫養城跡に関しては、後日詳細記事を載せます音譜





天守下の休憩スペースからの眺望は、相変わらず息を呑む絶景ですアップ

車を天守下の駐車場に止めたら、ランニングウエアに着替えて音譜

山を一気に下ります。







『本日は晴天なり晴れ

まるで岐阜城と見紛うような要望(≧▽≦)



さて、これではお城記事になってしまうのでσ(^_^;)

次へ行きましょうビックリマーク



ここへ来た一つ目の目的は、ここでした音譜



何の表記も無いのですが、ここは『将軍塚』と呼ばれる場所です。



【将軍塚とははてなマーク長めの解説音譜】←ご興味あれば、ご一読いただけると嬉しいです。


足利尊氏が開幕し、足利将軍政権を樹立しますが、足利氏も時代を経るに従い、その力を失っていきます。

当時、補佐役として、細川氏、斯波氏、畠山氏などが管領と言う要職を歴任していました。


当然トップの力が落ちてくると、ナンバー2が天下取りを狙い始めます。

足利政権末期も管領同士での争いが激しくなり、そこに大内氏や山名氏と言った地方の名門が中央政権へ進出してきます。


第十代将軍であった、足利義稙(よしたね)公は、当時の管領である細川髙国(たかくに)に阿波へ追放されますあせる

阿波は細川政権の基盤でしたので、追放と言うよりも幽閉(閉じ込める)に近いでしょうか。。。


そして中央政権復帰を夢見ながら、この撫養(鳴門)の地で生涯を終えます(><;)

さぞかし無念だったと思いますが、悲劇はこれだけに留まりませんあせる



室町時代から戦国時代へ、時代が変わって行く中で、中央政権に執着する各地の有力大名達は、自らが自由にできる将軍を擁立しようと企てます。

先日の記事でも書きましたが、第十三代将軍である足利義輝公は、そんな苦しい将軍家の時代を知っているので、誰にも縛られずに将軍が、日本を治める政権樹立を目指して奮闘しますビックリマーク


当時の政権を握っていたのが、三好長慶でしたので、穏便に事を済ませていましたが、長慶が病で亡くなると権力に執着する足利義輝公は、長慶の遺臣達に襲われて、二条御所で戦死しますあせる


さらにその後、三好家は自由にできる将軍として、第十四代足利義栄公を擁立しますが、その半年後に尾張の織田信長が京都へ上洛してきます。

これに伴い、足利義栄(三好家) VS 足利義昭(織田家)の戦いが激しくなります。


結果、三好家は敗れて、足利義栄は阿波へ逃げ帰り、十代将軍である足利義稙公と同じく、中央政権復帰を夢見ながら、この撫養(鳴門)の地で生涯を終えます(><;)



実力者の息子や縁戚に生まれたと言うだけで、周囲に利用されて、ボロ雑巾のように捨てられる…

本当にこんなことが昔の日本であったことを忘れてはいけませんビックリマーク



本日は心の底から、『どうか安らかにお眠りください』心からお祈りしてきました。




次に向かったのが、こちらです。



皆様。清少納言のお墓が徳島にあることをご存じでしたでしょうかはてなマーク

と言っても清少納言は紫式部と並び、和歌の名手であったくらいの知識しか自分にはありませんあせる




毎月10日には、イベントが行われているようです。

ご興味がある方はぜひご参加をご検討くださいませ(o^-')b

でも場所がとても狭く車では少々不便化もしれませんあせる









現在は鳴門市里浦町にある『あま塚』と呼ばれる場所に眠っておられます。




なぜ鳴門市にお墓があるのかと言うとはてなマーク



父親である清原元輔(もとすけ)の領地がこの阿波の里浦地区だったそうですΣ(゚д゚;)

初耳でしたあせる

地元でも知らないことばかりだなぁ~

改めて実感しました。



鳴門市は清少納言のお墓でアピールしていますが…

『あま塚』には、清少納言のお墓があると言う以外に、こちらも先日記事で記載しましたが、承久の乱(1221年)の幕府 VS 朝廷の争いに敗れた土御門上皇(つちみかどじょうこう)が流刑に処された場所と伝わっています。

その他にも、神様が日本国を創造した時代のお話ですが、海の男の伝説があったりと…

『あま塚』の詳細そのものがイマイチはっきりしない部分が多くありますあせる







春には美しい藤の花で覆われるそうです音譜

ご興味ある方は、是非とも訪れていただけると阿波っ子としては、嬉しいですビックリマーク




さて長くなってきましたので、まだまだご紹介したい場所がたくさんあるのですが、続編は明日に延長でσ(^_^;)

明日も宜しくお願いします音譜