阿波城跡探訪 ~徳島城編(No201)~ | 歴史男子(半ちゃん)が語る日常と歴史ロマン記

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地元巡りの中で、すでに何ヵ所か紹介してきましたが…

地元城跡の報告、第一回はいろいろ考えましたが、やはり徳島城で音譜

捻りが無くて、すみませんあせる




まずは全体図から音譜



徳島駅のすぐ北側にある通称『城山』と呼ばれる場所が徳島城跡になります。

城山を中心に周囲に堀(海水)が巡っており、城山周囲は市民公園となっています。





徳島城の歴史は意外に古く、室町時代に当時の阿波守護であった管領 細川家によって築かれたのが始めとされています。

後に、細川家の側近であった三好長慶が下剋上にて、細川氏を追放します。

この時、三好家は居城を徳島城よりも北側にある勝瑞城(現在の板野郡)へ移します。

その際に、徳島城は勝瑞城の支城となります。



【ちょこっと解説音譜

支城とは…

本拠地を守るための附け城。敵がいきなり本拠に迫らないように食い止める城。



現在の県庁所在地にも、昔はこんな過去があったんだなぁ~

記事を書きながら、何となく当時の支配者であった三好長慶公の気持ちを探っちゃいます音譜

ちなみに三好長慶公は、偉大な人物であったのですが、残念なことに早世してしまいます。

人物像はまた別の機会に音譜

今年のブログテーマに徳島城跡巡りと、歴史上の人物についても少しばかり書いてみたいと思っていますので、その時にでもご報告致します(o^-')b



その後、長宗我部元親公が四国制覇を目指して、阿波へ攻め込んできます。

長慶公亡き後、没落の一途を辿っていた三好家に抵抗する力は無く、徳島城は落城します。


落城後に長宗我部元親公は、四国のほぼ中央にある白地城(現在の三好市)を本拠として、四国征伐を開始した豊臣秀吉軍に備えたわけですが、徳島城は家臣である吉田康俊(やすとし)を城代として守らせます。


しかし、四国の覇者である長宗我部家を持ってしても、豊臣の大軍を防ぐことは出来ず、徳島城も見捨てられて、城代である吉田康俊も本国土佐へ敗走します。


その後、四国征伐を遂げた秀吉の命により、阿波は蜂須賀正勝(小六)に与えられます。

しかし、高齢であることを理由に、息子である蜂須賀家政に譲ります。

早速、入国した家政は始め堅固な場所を本拠に求めたため、一旦は一宮城(いちのみやじょう)へ入ります。

しかし、城下の整備には、適さないと判断したはてなマーク

主君である秀吉の命とも言われますが、一度は見捨てられた徳島城を再建して、本拠と定めます。



ちなみに三好・長宗我部時代は、徳島城は別名(猪山城:いのやまじょう)と呼ばれていました。

蜂須賀家政が城を再建するにあたり、落城の過去などを嫌ったことが改名の発端と思われます。


再建にあたり、近隣の長宗我部家(土佐)や小早川家(伊予)など多くの大名が協力しています。

いわゆる天下普請(てんかぶしん)と言うもので、当時の蜂須賀家は豊臣政権下では、信頼の厚い家柄でしたので、秀吉が近隣の大名に築城に協力するように命令したと思われます。


築城開始が1585年で、落成が1586年と言いますから、近隣大名も大変な苦労だったと思います。





まずは鷲の門。

現代で言うところの玄関みたいな感じになります。





先日、正月前にランニングで訪れた際には、綺麗に門松が飾ってありました音譜





由来の石碑です。





下乗橋周辺。





下乗橋から見た水掘りです。







下乗橋を渡ってすぐに、この桝形構造ですビックリマーク

しかも季節を変えて何度も行っているので、なかなかに見応えがあります音譜





太鼓門櫓が桝形の門を突破しても、すぐに構えられていて、いざと言う時には、

ここから弓矢・鉄砲の総攻撃が有り得たんでしょうねσ(^_^;)

実際、蜂須賀家が入国してからは、戦は起こっていないので、攻城戦とは無縁のお城でした音譜





藩祖である蜂須賀家政公にお参りして…

『いざ参らんビックリマーク





東二の丸跡。





天守跡。





徳島城は、海抜62mに天守跡があるため、今でも徳島市内がそれなりに眺められます音譜





そして、天守跡より上(山頂)に本丸が配置されていました。

少し他のお城とは異なった配置になっています。





今でも昔を伝える石垣アップ





本丸跡から見る徳島のシンボル眉山です音譜







今、本丸跡には、ひっそりと清玄坊神社があります。

この清玄坊とは、人の名前なのですが、蜂須賀家が入国する前から城山にて修験道として生活しており、

蜂須賀家が城山を徳島城として、本拠地移転を始めても立ち退きを断固拒否しました。


結果、相談したいと持ちかけられて、蜂須賀家の家臣に暗殺(一説には呼び出して処刑)されます。

その魂を弔うために、蜂須賀家政が建てた神社と伝わります。


歴史には流せない悲しい過去。

切なくなるような話がたくさんあります。

人はなぜ過ちから学ばないのかはてなマーク

自分も過ちなんて、毎回ありますが、人の命を奪うほど愚かな行為は無いと考えています。


しかし、歴史は必ず繰り返します。

世の中を変えるために戦うべきこともあるでしょうが、戦いは恨みしか残しません。。。

もっと何か良い手が無かったのかはてなマーク

これは、現代に生きる自分達にとっても、とても考える意義のあることだと感じています。



講釈言いましたが、自分も身近な人の争い一つ止めることが出来ない不甲斐ない人間ですあせる

今年は、少しでも自分の周囲だけでも争わずに済むように努めたいと、こう言う話を聞く度に思います。




さて話を変えて、以前から自慢だと言っている全国の名勝に数えられている徳島城表御殿庭園をご紹介致します音譜





まずは名勝と呼ばれる由縁です。













枯山水・手入れの行き届いた松並木・京都のお寺ばりに整備された白砂利音譜

管理される方は、ほとんどが地元企業を定年退職されたご老人ばかりですあせる

誠に頭が下がりますあせる



自分もいつか、次世代を担う若者達が『凄いなぁ~』と感嘆してくれるようなお仕事がしてみたいものですビックリマーク



最後に…



城山と表御殿と庭をセットで入れてみました音譜




ちなみに徳島城と一宮城以外は、そんなに詳しい史跡が残っていないので、力が入って報告できるのは、この二か所だけになると思われますσ(^_^;)



これからも、間で更新していきますので、もしご興味湧きましたら、徳島へお越しいただければ、嬉しいですラブラブ