決戦の地へ ~それぞれの想い~ 後編 | 歴史男子(半ちゃん)が語る日常と歴史ロマン記

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関ヶ原(ウォーランド)記事の第二夜ですo(^▽^)o



まずは…



現在の大河で準主役ポジションの黒田長政公です。

わが師匠である竹中半兵衛公、最後の大仕事がこの方の命を救うことでした(^O^)


この時の恩があって、黒田・竹中両家の絆は深くなっていくわけですが…

竹中重門公(半兵衛公のご子息)が、控え目な印象なのに対して、黒田長政公は豪胆な性格だったと伝わっています。


しかし、関ヶ原の戦いは、この方が決着させたと言っても過言でないかと。。。


開戦時、どちらに付くべきか…

迷っていた毛利家への中立化調略を行い、見事成功させて無力化しています。


結局、毛利本体は動かず、小早川に裏切られたことで、西軍は潰走します。




そして、黒田長政公の側には…



師匠のご子息、竹中重門公のお姿がありました。

当初は西軍よりの立場だったのですが、黒田長政公の誘いに応じて、東軍に味方しています。


結果的に、黒田家に家名を助けてもらった感じですね音譜

長政ちゃんビックリマーク恩返ししてくれて、ありがとう音譜


蛙の子は蛙。父親譲りの文学好きで、この後、豊臣秀吉の一代記である『豊鏡』を記しました(^O^)



そして、いよいよ関ヶ原の主役の一人。

石田三成公の陣へ。





秀吉公に見い出されたことで、戦国の世にキラ星の如く登場しましたが、秀吉公への恩に一途過ぎたのかもしれません。。。

秀吉殿は、わが師匠、竹中半兵衛公も魅了した、人たらしですからねぇσ(^_^;)


晩年の秀吉公は、悪行が目立ちますが、その多くを奉行として、被ったのも事実かと思います。

しかし、秀吉公が、疑り深くなっているところへ同僚の悪口を吹き込んだとの逸話もあり、どれが事実なのか。。。

今も真相は!?


どちらにしても、悪い噂をされたと思っている武将は、家康公への忠誠よりも、

『三成憎しビックリマーク』この気持ちだけで、東軍へ回ってしまいましたσ(^_^;)



ちなみに、石田三成公の笹尾山の陣付近で、転んでいる武将を発見ビックリマーク

誰だはてなマークと、見てみると…

まさかの島左近殿ではないですかあせる


自分の思い描く、島左近殿とは違ったので、写真を撮りませんでしたむかっ

三成に過ぎたる武将、島左近と言われているのに(><;)


島左近殿と、最後に交戦したのは黒田長政隊でした。

黒田長政隊の誰もが、鬼左近と恐れて、その時の左近の気迫は覚えているのに、最後の姿は???

恐怖で記憶していないと伝わっているのに、これはないわ~。。。


妄想歴史男子の身勝手をお許しください(笑)




ここからは、東軍の歴戦諸将です音譜



こちらは、家康に過ぎたる家臣。本多忠勝殿ですビックリマーク

言わずと知れた徳川四天王の一人。


家康公は、三河以来の家臣団の団結力には自信を持っていましたが、

外交力・政治力の面では不安を持っていたようで…

関ヶ原の戦いに掛かる頃は、旧臣を遠ざけて、人事の刷新を進めています。

それでも、本多忠勝殿は、遠ざけられることなく、家康公の側にありましたので、やはり特別な人材だったのでしょうね音譜



次は、人事刷新の代名詞とも言えるこの方音譜



赤鬼、井伊直正公ですビックリマーク

言わずと知れた徳川四天王の一人ですが、元々が三河の出自ではありません。

それでも、戦場での武勇だけでなく、外交・政治力にも長けていたため、家康公が重宝します。


しかし、武勇に優れていたがために、この後、西軍に属していた島津家を追い討ちする際に、鉄砲で撃たれて、その傷が元で落命することに(><;)

家康公の悲しみは、大変なものだったと伝わっています。







そして、これが世に名高い、島津の中央突破ですビックリマーク

薩摩の島津家は、西軍に属して戦っていましたが、兵力が少数であったため、主だった戦いに参加できずに勝敗が決着してしまいます。

西軍の潰走を目の当たりにした、島津義弘公は、全軍に檄を飛ばして、徳川軍の中央突破にて撤退することを指示します。


これに驚いたのが、徳川軍∑(゚Д゚)

まさか、そんな無謀なことしないでしょうはてなマーク

と、思っているところに血迷った、島津軍が突っ込んできて、しかも素通りむかっ

これを追いかけたのが、先ほどの井伊直正公でした。

結果、手傷を負って、戦後に亡くなっているのですから、徳川家としても痛手ですダウン


ちなみに島津家は、ほぼ全滅でしたが、大将の島津義弘公を含めて数十騎は、見事薩摩へ帰還しています。

鬼島津の面目躍如といったところでしょうか音譜







最後は、首実検を行う、東軍のタヌキビックリマーク

失礼、東軍の大将、徳川家康公です。


この後、東軍に味方した諸将は、日の目をみますが、西軍に味方した諸将は、悲惨な生活となってしまします((>д<))


でも何だかんだ言いながらも、約260年もの長きに渡る政権運営を行ったのは、徳川幕府ですから、やはり初代である家康公の功績は素晴らしかったのだと感じます音譜






帰りのお土産は、これです。

関ヶ原焼きで、お腹も満たされて、すっかり(@ ̄ρ ̄@)zzzz

徹夜・運転・運動で、もうクタクタあせる







それでも最後に、大谷吉継公・平塚為広公のお墓・句碑にはお参りしてから帰りました音譜





時代を超えて、武田信玄公が戦を止めにきていましたよ~

『ノーモアー関ヶ原じゃ』とビックリマーク





最後は、今もこの地で果て、眠っている大勢の武将たちに敬礼して、帰宅の途に付きました。


いや~。楽しかったですね音譜

でも次に来るときは、友達とワイワイ言いながら、ウォーランドじゃなく、本当の陣跡や墓石を巡ってみようと心に決める自分でした(≧▽≦)