●「賞品」の女性を招き入れて男同士で戦利品を自慢し合う | ぷうちゃんていうの★脳脊髄液漏出症低髄液圧症候群脳脊髄液減少症線維筋痛症慢性疲労症候群胸郭出口症候群

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国語
静岡県立伊東高校
運動会で背面タックル転倒 後続が踏み気絶 放置
公務災害1998年5月

2018年7月
脳脊髄液漏出症判明
合併 胸郭出口症候群手術で副損傷

「お礼LINE」の意味をまったく理解できていない…松本人志を擁護する声がこれほど多い残念すぎる理由 2024.1.18 7043 views


文春で報じられたような合コン開催の存在自体を既婚者である松本氏が言外に認めていることに対しても、擁護の声は決して弱くはなかった。

「だって松本さんだから仕方ない」

「天才は何したっていい」

「英雄色を好むというじゃないか」

「むしろありがたいと思え」

だが、A子さんたち告発者に対するそれらの中傷こそが、ハラスメントや性加害事件が明るみに出るたびに日本社会がひと通り繰り返すサイクルの典型だ。

被害者が事後にへりくだったお礼メッセージを送る、そこに現れた二者の力学差がすでに被害加害関係のフラグであると、なぜわからない。

性加害はいじめと同じ力学差を利用した構造である。告発者が何を「嫌だった」と訴えているのか、なぜそれが「ハラスメント」なのか、何が問題なのか、本質が見えていない。

声を上げた側を

「何か裏があるんだろう」と疑い、

「そんなところに行くのが愚か」

「わかってて行ったはず」

と断罪し、被害者の側に非がある、自業自得だと結論して退けようとする。

同じことが、ジャーナリスト伊藤詩織さんの性被害裁判の時も、元少年たちが告発したジャニー喜多川氏の性加害報道の時にも繰り返されていた。前ジャニーズ事務所の一連の報道の間には、証言者の1人であった元少年がSNSでの誹謗ひぼう中傷を苦に命を絶った。

無責任なつぶやきを垂れ流す傍観者たちによるセカンドレイプ。いったい何度同じことを繰り返せば、日本社会は学習するのだろう。

そこに存在していた

力関係

「女性がその場はノリノリでも、あとで手のひら返して『嫌だった』と言えば男性側は終わり」

「もう合コンなんかできない」

「そんなことじゃもうこの日本で恋愛なんかできやしない」

という、わりと典型的な男性意見がある。

そもそもの定義として合コンイコール性加害ではないし、本当は嫌だったと言われる可能性のあるきわどい合コンなどしてしまう時点で、この時代にはだいぶリスキーな行動パターンだとも感じるが、それはさておき「女性がその場はノリノリでも、あとで手のひらを返す」と映っていること、それが女性側との大きな認識の齟齬そごなのだ。

例えば有名人との豪華な合コン。もちろんノリノリの女性も間違いなくいるだろう。なんら後悔などなく「楽しかったーあ! 有名人とあんなことしちゃったー!」と言いふらす人だっているだろう。

けれど人によっては「自分は全くそう望んでいないけれどその場はノリノリになってみせざるを得ない力学差、力関係」が、これまでの時代の男女間、男女関係には大いにあったのではないか、ということを、男女ともに一度見直してみていいタイミングなのではないだろうか。

それは“恋愛”だったのか

「そんな世の中じゃもう恋愛なんかできない」と言う向きには、

「ではそもそも、今まで通りを許される価値観でなければ“恋愛”ができないとこぼすあなたは、

これまで本当にお互いフェアな地平に立つ“恋愛”をしてこられたのでしょうか」と聞いてみたい。男性のゲームの中に

女性を「賞品」のように招き入れて、男同士で戦利品を自慢し合うような、内輪受けの争奪ゲームを繰り広げてはいなかったですか、と。

ルールはその場を設けた男性側のもの。奢る、仕掛けを張るなど力学差を利用し、女性側が断れない図式にして、合意も不合意も曖昧なままセックスへ追いこむ。それの何が「恋愛」なのだ?

あの告発は、男性のゲームで賞品にされた女性たちが理不尽をのみ込もうと葛藤する8年を経て、今ようやく「ずっと自分がバカだった、自分が悪かったんだと思うようにしてきたけれど、そうじゃないですよね」と整理のついた言葉なのだろう、私はそう感じた。

「お礼LINE」が表すものは何か

「性加害はいじめと同じ力学差を利用した構造である」と、先述した。

A子さんのものとされるLINEのお礼メッセージを見た有識者たちは、一斉にあのメッセージが被害者ならではの自己防衛による迎合である可能性を看破した。相手の感情を害さないよう、自分に言い聞かせるように、もしかしたら震える手で、「ありがとうございました」

「あんなにいい思いをさせていただいたのに、理解できない私が失礼なことをして申し訳ありませんでした」「反省しています」

「今後ともどうぞよろしくお願いいたします」と携帯に礼儀正しく打ち込む、それは傷を受けた側が自分を必死に守り平常を取り戻そうとする行動である。

その心理を理解する男性が、ふと言った。

「いじめられっ子がボコボコにされたあと、いじめた側に一瞬

『へへっ』と見せる

へつらい笑いと同じものですよね。やっと終わった、もうしないでね、と、その場をしのぐために見せる、そういう笑いってありますよね。だからって『お前も楽しんでいただろ、だからいじめじゃない』って話じゃないですよね」

「笑いの王」に感じた失望

A子さんの「お礼メッセージ」を見せて、

「だから俺は悪くない。嘘をついているのはあっちだ」

と言わんがばかりの笑いの王の姿に、私は打ちのめされるような失望を感じたのだ。誰よりも人間の心の機微に敏感で、言葉を操ることに長けていてほしかった笑いの王の、そんな姿に。

このコラムでは香川照之氏のセクハラが問題となった時にも書いたことだが、

ハラスメントの本質はいじめである。

パワハラでもセクハラでもモラハラでも、力(権力)の傾斜があるところにハラスメントは生まれる。ハラスメントが常態化している業界は、本質的にいじめ体質なのである。


そこに疑問のない業界、疑問を持たない人たちから生まれたような「表現」「笑い」を私はもう無邪気に笑うことができない、と気づいてしまったのだ。


松本人志氏が活動休止を表明したことを受けて、まさにここに書いたような内容を発言した1月9日(火)のABEMAPrime放送後、私のもとにはさまざまな連絡が絶え間なくやってくる。ネットではコメントも賛否両論かまびすしい。

「私も、芸人さんとの合コンで嫌な思いをしたけれど人に言えず、あれは自分のせいだったんだと自分自身を責めて気持ち悪さを飲み込もうとしてきました」と過去の体験を告白してくれる女性たちから連絡がくる。その一方で、「松本人志は天才だ。

遊びは

芸の肥やしだ。調子よく奢ってもらいながら8年前のことを今さら蒸し返すような女が言う『性加害』なんて信用できるわけもないのに、お前のように笑いもわからない素人女が松本を非難するなんておこがましい、不愉快だ」という男性からのコメントもやってくる。

「事実無根なので、闘いまーす」

「松本人志という権力」が、裁判に専念するため活動休止するという。あれだけ好きだったお笑い。

だがもう無邪気には笑えないと気づいてしまった今、「もうそういうお笑いは見なくてもいいかな」、そう思ってしまっている自分がいる。

河崎 環


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