節分と鬼畜
たとえば、同級生のいじめを目撃したときに、いじめている側にひとこと言うとしよう。
「餓鬼だな」
これは諭す方向。
「畜生だな」
これは人格否定。
「鬼畜だな」
これ。
鬼畜というのは、仏教六道のうちの、「餓鬼畜生道」のことだ。
人の心を持っていない者たちの地獄の世界。
餓鬼+畜生=餓鬼畜生
「餓鬼畜生だな」
嫌悪感の表明。
なぜか短縮して『鬼畜』というと、囃子言葉になる。
これってもしかして、『鬼神』のイメージと混同するからだろうか。
桁外れに強い格闘家を、鬼神と称することがある。
読み方は「きしん」と「きじん」の二通りあるが、それぞれ違う意味を持つ。
きしんは神のことであり、超人的な力を持つものを指す。
きじんは鬼や化け物、悪霊とか。
格闘家に「きじん」というのは失礼にあたるかもしれず、悪役プロレスラーに「きしん」という言葉はふさわしくない。
中国では日本を侮蔑する際、日本鬼子(リーベングイズ)という言葉を用いることがある。しかし中国人がいくらこの言葉で口撃をしてこようとも、日本人はノーダメージだ。
日本人は鬼という言葉に対し、畏怖はあっても侮蔑の感情は持っていない。
餓鬼がNGなのは、ガキを鬼と認識していないからだと思う。一般的にガキといえば、子どもを指す。
餓鬼という言葉で指摘することは、相手に対し、上から目線なのだ。
一方、鬼畜の場合は、「鬼のようだ」となり、エールと感じてしまうのかもしれない。
昨日は節分で、そんなことを考えていました。