『外は白い雪の夜』の考察 | スライダーズおやじ

『外は白い雪の夜』の考察



なんか、落ち込んだ時にときどき聴きたくなるこの曲。
 
昨夜はyoutubeで、いくつかあるテイク違いを含め、繰り返し20回くらい聴きました。
これは男女の別れの歌なんですが、僕がそういう状況にあったということではないですよ(^、^; (念のため!)
 
昨日はちょっと慣れない仕事をして、自分自身が消えていくようで、自暴自棄な気分になったんです。誰かに話したいけど、誰にも話せないことで。
 

哀しみの曲のなかに身を投じると、気分がずんずんと沈んでいく。そしてシーンとした海底に着地したのち、心の荷物が徐々に融けていく。そして曲に飽きるとともに、浮かび上がれる感じ。
 
まあそんなわけで、昨夜はじっくりこの曲の世界に浸りました。
すると、なんかいままで気にとめていなかった歌詞の世界が、妙におもしろいことに気がついた。状況はわかるけど、言葉がちぐはぐな感じというか。歌詞の組み方に矛盾を感じるといいますか。
 
なぜこれが名曲なのかわからない。
てなわけで、自分なりに考察してみました。
 
 
 
 
外は白い雪の夜
 
作曲:吉田拓郎
作詞:松本隆
 
 
大事な話が君にあるんだ 本など読まずに今聞いてくれ
ぼくたち何年つきあったろうか 最初に出逢った場所もここだね
感のするどい君だから 何を話すか わかっているね
傷つけあって生きるより なぐさめあって 別れよう だから
Bye-bye Love 外は白い雪の夜
Bye-bye Love 外は白い雪の夜

 
『感のするどい君だから』
なんで、勘ではなく、感なんだろう。
ここにこの男女の、微妙に思いやる空気みたいなものが表現されているのかな。
 
『傷つけあって生きるより なぐさめあって別れよう』
なんで、「なぐさめあって別れる」んだろう。なぐさめるっていう言葉、僕の知ってるなぐさめるとは違うものなのかな。
 
男のほうは明らかに彼女との関わり合いを辞めようという意思のもとで行動してるのに、なんで「なぐさめあって」なんていう言葉が出てくるのか。おまえはもう、なぐさめなんて欲していないよな?
 
なぜここは、「なぐさめあって生きるより 傷つけあって別れよう」ではないのか。「傷つけあって生きるより すべてを捨てて別れよう」でもなく。
 
 
あなたが電話でこの店の名を 教えた時から わかっていたの
今夜で 別れと知っていながら シャワーを浴びたの哀しいでしょう
サヨナラの文字を作るのに 煙草何本並べればいい
せめて最後の一本を あなた喫うまで 居させてね だけど
Bye-bye Love 外は白い雪の夜
Bye-bye Love 外は白い雪の夜

 
『あなたが電話でこの店の名を 教えた時からわかっていたの』
なぜここは「教えた」なのか。日本語としておかしくはないのか? なぜ「言った」、「告げてきた」ではないのか。意図があるとすれば、女が絶妙に媚び、へりくだっているということか。
 
『サヨナラの文字を作るのに 煙草何本並べればいい』
こういう、数字遊びが出てくる歌詞っていいよね。頭のスイッチが別のところで入りかけて、そんなのどうでもいいよなってなって、なんか頭が疑似的に立体感を感じる。でも、
 
『せめて最後の一本を あなた喫うまで 居させてね』
こうなってくると話しは複雑。12本? かな? 12本吸えという誤解を生むような? これは狙いなのか、適当なのか。僕は多分後者だとおもう。詰めてない。
 
作詞と作曲を同時に行う場合は、こういう矛盾って、日本語としての完成度よりもフレーズのハマりかたの方を優先して、放置してしまうことがあるような気はするけど、大御所の作詞家の詞に拓郎が曲をつけた、という作業だったとしたら、ここは矛盾のまま残ってしまう。
 
 
客さえまばらなテーブルの椅子 昔はあんなに にぎわったのに
ぼくたち知らない人から見れば 仲のいい恋人みたいじゃないか
女はいつでも ふた通りさ 男を縛る強い女と
男にすがる弱虫と 君は両方だったよね だけど
Bye-bye Love 外は白い雪の夜
Bye-bye Love 外は白い雪の夜

 
『客さえまばらなテーブルの椅子』
一見、成立していないようで、非常に緻密な言葉組み。これは、さすがだなーと思う言い回し。このスケール描写はすごい。
前後を見れば、女が浴びなくてもいいシャワーを浴びてきたという振りがあり、男は理性的な場であることを望み、女は現実と向き合うのを恐れて、わざとらしく本を読む。出会いは相席だったのかなーなんて、想像が膨らむ。

『昔はあんなに にぎわったのに / ぼくたち知らない人から見れば』
かなり乱暴・・・。話しがつながってるようで、つながっていないような気がする。でも、腑に落ちる不思議。
こういうのって、漫画の原稿でインクを飛ばす技法に近い気がする。一瞬の偶然にかけている。

『ぼくたち知らない人から見れば 仲のいい恋人みたいじゃないか』
これは、僕たちは恋人ではないですよ、という念押しですね。

『男にすがる弱虫と』
この言葉の選び方も、男の周到さを印象付ける。弱虫=悪いという不必要なレッテルで脅し、罪悪感を与えて、「すがってくれるなよ」とけん制しているように感じる。ここまでくると、言葉を弄する詐欺師のようにさえ思えてくる。
 
 
あなたの瞳に私が映る 涙で汚れてひどい顔でしょう
最後の最後の化粧するから 私を綺麗な想い出にして
席を立つのは あなたから 後姿を見たいから
いつもあなたの影を踏み 歩いた癖が直らない だけど
Bye-bye Love 外は白い雪の夜
Bye-bye Love 外は白い雪の夜
 
Bye-bye Love そして誰もいなくなった
Bye-bye Love そして誰もいなくなった

 
 
『あなたの瞳に私が映る 涙で汚れてひどい顔でしょう』
『最後の最後の化粧するから 私を綺麗な想い出にして』
『席を立つのは あなたから 後姿を見たいから』
『いつもあなたの影を踏み 歩いた癖が直らない』
もう、これは切なすぎる。男は、これでいいんか? と思う。やっぱり結局、身勝手な男が女を言いくるめて別れたがってるだけっていうことなんだろうな。
 
冒頭の
『傷つけあって生きるより なぐさめあって別れよう』
これを見てもそう。君だけが悲しいわけじゃないんだといいつつ、自分は哀しんでいない、そういう歌。
ほんで、「そして誰もいなくなった~」でシャンシャンシャン。

・・・でいいのかなぁ???




YouTubeのこのテイクの評価の高いコメントに、

拓郎を聞いてた高校生の頃、この唄の意味も理解できていなかった­。
46歳で初めて愛する人に自ら別れを決意した時
この唄の意味が初めて判った気がする。
振られるより振る事の辛さ、己の選んだ別れの辛さ、
この唄と涙がすべて・・・
usafstealth 1 年前


というのがあるんだけど、この人も身勝手な人なのか?
いや。まあ、解釈にどっちが正しいなんていうのはないわけだし、受け取り方はそのひとの心の鏡というか、つまり僕が単に「自分の冷血漢っぷり」を投影して見てしまっているだけという結論に・・・。あはは。
 
 
松本隆さんの歌詞って、ときどきこういうトリッキーなのがありますね。

たくさんのプロミュージシャンにもカバーされて、ほんとに名曲なんだなと思います。
http://www.youtube.com/results?search_query=%E5%A4%96%E3%81%AF%E7%99%BD%E3%81%84%E9%9B%AA%E3%81%AE%E5%A4%9C


▼kai310さんという方のブログでも、この曲が興味深く取り上げられていました。トラバ・・・は禁止になったので、リンク貼ります。
http://ameblo.jp/s-kaiwalker/entry-11153957658.html