子どもたちに蹴りいれて | スライダーズおやじ

子どもたちに蹴りいれて

昨夜のこと、PRIDEのTV観戦の後、僕は布団に寝転がってポケモンの孵化をはじめた。ポケモンの孵化作業というのは数字・確率との勝負で、けっこう神経を使う。僕にとってポケモンは単なる遊びではないので、こうした作業は真剣にやる。


そのとき、小3の末っ子が上に乗っかったりくすぐったりしてじゃれ付いてきた。
何度振り払ってもしつこくくる。いつもは逆にくすぐりかえしたり、乗っかってやったりして追い払うのだが、このときはかなりしつこかったので、腹に10発ほど強目のパンチを食らわせてやった。
やっと僕が本気で迷惑しているということを理解したのだろう、はなれていってくれた。

そのあと、中1のムスメが寝室でテレビドラマを見るというので、僕は居間へ行き、チャットで次のポケモン勉強会の新企画を打ち合わせをはじめた。次回は結構大きな変革をするので、10名ほどでの会議となった。議案がいくつかあり、そこに集中していた。
寝室のムスメと末っ子とが、うるさかったので黙らせた。
CMのたびにケンカをしている。何度注意しても静かにならないので、罰としてテレビの音を小さくした。

ドラマが終わったあと、鬱憤がたまっていたのだろうか、長女に末っ子が泣かされていた。僕はドカドカと足音をたてて寝室へ行き、末っ子に馬乗りになって攻撃していたムスメに対し、何も言わずに20発ほど、強目の蹴りを入れ続けた。

力や立場の差があるときに、やられた側がどんな気持ちになるのか、知る必要があると判断したからだ。
情けなく泣いてる末っ子も一発軽く蹴ってやった。二人とも静かになった。

僕は子どもたちに対して、これまでに一度も怒ったことはない。
いつも叱ってきた。

でも昨日は2回、キレた風を装ってみた。
子どもたちにもそれぞれに言い分はあるはずなのだが、そこをあえて一切無視した。
叱ることも、事情を聞くこともナシ。蹴った後のこちらからの説明も一切ナシ。理不尽な暴力による両成敗だ。
これは、うちの親のやり方だった。

自分で考える力がつくのか、それとも恐怖心で抑え込むことになるのか。これは賭けだなと考えながら。

後者なら失敗だ。どこかに必ず、ひずみが来る。
しかし、ときには暴力の経験は必要なことだと思う。なぜなら、それは社会に存在するものだから。

21世紀の現代においても、人類は暴力や謀略を用いる。
国家間の争いであっても、話し合いで解決をみない問題においては、戦争という手法で解決をすることが国際法で認められている。

安易な暴力がどれだけの意味を持つのか。そこに発展するまでにどういうプロセスがあるのか。
その最終手段をいかにして用いれば、お互いの権利を守っていくことにつなげられるのか。
終わった後にどんな気持ちが残るのか。
したたかさとしなやかさ、そして想像する力を身につけて欲しいと願う。僕には足りないものだから。

子どもだからといって、いつまでも「オイタはダメでちゅよ~」と言っていられるわけではない。

関係や現状を変えていくことを、恐れてはダメだと自分に言い聞かせた。