おはようございます。


Smile up社が。


年末年始の動画配信収益全額を


能登半島地震の義援金とされる、と。


こちら。


過日の横浜アリーナ。


嵐さんの後輩さんグループが


アンコールから一曲だけお土産として


ファンに撮影を許可してくれたものです。


動画再生が被災地の応援にもなるらしく


こちらにも貼らせていただきますね。




♬OKie Dokie!






こちらは初日のアンコールより


♬Just dance!🩰




デビューから一年の若いグループ


まだまだ未熟なところもありますが。


旧事務所から最後にデビューした


TravisJapan🐯


今のまま(^^)でいい。


チケット取りやすいまま←(おい)


だけど頑張っている彼らを応援したい。


という矛盾を常に抱えつつ





小さな応援ブログも立ち上げておりまして


こちらにも貼りました。


月に一度の記事更新🐢ブログですが(^^)


応援再生よろしくお願いします🙇


(追記終わり)






☆*:.。. o(≧もとの記事≦)o .。.:*☆







こんばんは。


2024年睦月三日になりました。





大きな地震がありましたね・・・


心よりお見舞い申し上げます。







募金活動に寄付もいたしました。


職場を通しても


また寄付するつもりでおります。





今から29年前のこと。


1995年1月17日5時46分。


阪神淡路大震災。


私は兵庫県芦屋市にいました。


どーん!と突き上げる大きな縦揺れ。


ピアノの部屋で大きな音がして


ガチャンとシャンデリアが落ちたのを


お布団の中で聞きました。


本棚の本が全て落ちました。


揺れが落ち着いて


様子を見に部屋から出ますと・・・


グランドピアノの脚は折れて


壁にぶつかっていました。


鍵盤が斜めになっていました。


バイオリンの弦は切れて


割れた硝子の崩れる鋭い音が


楽器に響いていました。





寒い朝でした。


まだ携帯電話もそれほど普及しておらず


電気が遮断されて情報が入ってこなくて


日本全体がこのようになったのだと


漠然と思っておりました。





壊れた家屋から


暖のとれるものを集めました。


百歳に近い曾祖母に靴を履かせ


避難しようと言いますと


静かに首を振って


「このままここに置いていけ」と。


皺皺の手、小さくなった肩。


ひいおばあちゃんの匂い・・・




その手でおむすびを作ってくれた。


小さな私や弟の手を引いて


幼稚園まで送り迎えしてくれた。


母に叱られた時には


よっこらしょ、どっこいしょ、と


動かない足を引き摺りながら


「もうその辺にしとき」と・・・






どうして置いていけるでしょう。





私も弟も母も、もちろん祖母も。


曾祖母に育てられましたので


「姥捨」など到底できなくて


夙川の東側、また六甲山の北側が


比較的被害が少ないと知るとすぐに


両親は六甲の北に小さな家を買いました。


それまでの間。


避難所には行かず


家中の硝子を箒で掃いて


崩れた土塀を風除けにして


家の屋根にブルーシートを貼って


夜は父と弟が


交替で番をしてくれて


暴漢に襲われないように


比較的無事だった仏間に


家族全員集まって休みました。




水汲みが大仕事になりました。


弟やその友人らが何人もの人々を


瓦礫の下から救い出しました。


食べ物は幸いにも。


お歳暮でいただいたお羊羹などがあり


空腹を満たすことができました。


個包装のお菓子は非常食になります。


石油ストーブの上で


お餅やお芋を焼くこともできました。






だけど大雨が降ると


お布団はべちゃべちゃになりました。


電気もガスも水道も止まっていたので


そう長くは


キャンプのような暮らしは


できませんでした・・・





「置いていけ」と何度も言う曾祖母。


私は同じお布団に入って


曾祖母をさすり続けました。


家中の清潔な布を集めてきては


老人用オムツにしました。





食べること、水を飲むことを


「足手纏いになるのが辛いねん」と。


拒否し始めた曾祖母に・・・


生きて欲しいと泣いてお願いしました。





日に日に弱っていく


だけど大好きでたまらない


ひいおばあちゃんの為に。


安全で


温かく


そして清潔なお湯の出る


「おうち」が何より必要でした。





一番弱い者のために


一番力のない者のために


一番小さな者のために


家族が力を合わせる時。


それは全ての人にとって


一番良い判断ができると信じています。




赤ちゃんやお年寄りは


大切にされる。


弱いものをいたわり大切にすることは


自分を大切にすることと同じです。





温かいお家。


清潔なお湯。


お腹を満たす食べ物。





それは全ての人にとって


必要なものですものね・・・





どうか


被災された方々に


必要なものが届きますように。





温かい声が


温かい心が




どうか届きますように・・・






そして嵐さんの恵みを


思い出さずにはいられません。







彼らが東日本大震災のあとに


福島を訪れたこと。


どれだけ励まされたことでしょう。


その頃には東京にいましたが


まるで若い日の自分へのご褒美のような


温かく頼もしい嵐さんの歌声。


大雨の被害が出た西日本にも


寄り添ってくれましたね・・・





忘れません。


私は、決して忘れない。


彼らがしてくれたことを


絶対に忘れません。






大晦日。


夕方の早めの時間。


家族の時間から少しだけ


嵐さんの映画に行かせてもらいました。


迎えに来てくれた夫が


SnowManのYouTubeライブを


車の中で流してくれて


それもありがたく拝見しました。


TravisJapanの配信もCDTVも見ました。





まさか。


新しい年を迎えて


こんなに大きな被害が出るなんて


思いもしませんでした・・・





だけど。


自分が地震から立ち上がる時に


思い出したのは。


『大草原の小さな家』の荒野や


『風と共に去りぬ』のタラの大地だったこと


家財を失っても


読んだお話や身についた教養は


失わずに済んだこと。


さらに今もそのおかげで


働き続けていられること。


それは恵であるということ・・・





そんなことを思い出しました。





お話は


待っていてくださる方々がおられるので


近々UPいたします。





今年もどうぞ宜しくお願いします。






和子