この曲については、2年以上前に発信しているが、その時に受けた印象を更に掘り下げてみたいと思う。この曲を聞いての第一印象は男女の間に漂うウエットな雰囲気が感じられないということであった。それは唯一男女の関係かなと思われる「バスの中はとっても寒いけれど 君の嘘や偽り程じゃない」というフレーズがあるが、男女の間で嘘や偽りが別れの原因になるとも思えない。そのため例えば親友(陽水に親友と呼べる人がいたかどうか不明だが)のような関係にある人との決別を歌ったものではないかと書いた。しかし事態はもっと深刻なのではないだろうか。
「広い窓もただの黒い壁だ なにもかもが闇の中に」や「ただ、夜のバスだけが矢の様に走る」は、暗澹たる世界にまっしぐらに突き進んで行く様子が浮かんでくるようだ。親友からの裏切りなら、一晩飲み歩いたら吹っ切れるはずだ。同時期の「帰郷」という曲では、親父が倒れた知らせを受けて、急いで高知へ向かう列車から見た風景をうたっており、「喉に血吐見せて 狂い泣く あわれ あわれ 山のホトトギス」という心境であったが、状況は違うだろうが同じくらい深刻な状況なのではないだろうか。
そこで思い当たるのが、デビューしても鳴かず飛ばずだった時から再デビューまでのいきさつである。この辺の状況は、全く語られていないので分からないが、再デビュー曲である「人生が二度あれば」を聞いていると、少なくとも一度は福岡に帰省していたのではないかと思われ、当然金も無いし夜行バスで帰ったのではないだろうかと。親父の歯医者を継ぐことができず、また自分が目指した歌手の世界からも見放されて将来への希望がまったく見いだせない状況だったのだろう。「君なら一人で明日を むかえる事も出来る」。今の自分に明日なんて来るんだろうかと。
このように考えると曲の最初の高音の「ハアー」というパートは、ため息のようにも聴こえてくるのである。また曲の最後にフェイドアウトしながら再度盛り上がっているパートは、微かな希望の光というよりは儚く消え入りそうな祈りのようなものとして聴こえてくるのである。