今日は「かんかん照り」の「帽子を忘れた子供が道で 直射日光にやられて死んだ」という部分について再度考えてみたい。前回この部分は「ちょっと大袈裟な表現じゃないかと思い、1945年8月に広島、長崎に投下された原爆の熱線と放射線を直射日光と言っているのだろう」と書いた。
何故そんな発想になったのか原因を考えてみると、前回も書いたように私は北海道生まれの北海道育ちで子供の頃に夏の暑さを嫌になるほど暑いと感じたことがなかったのである。海水浴ができたのが1か月足らずでお盆を過ぎると泳がなかった記憶がある。もう一つの原因は、以前日射病とか熱射病と呼んでいた症状が最近は全て熱中症と呼ぶようになったことではないだろうか。
帽子をかぶらず直射日光に長時間さらされたことで起こる日射病は、死に至る病気である。陽水が子供の頃に、夏まつりで語られていたような近所でよく一緒に遊んでいた子が日射病で亡くなったという出来事があったのかもしれない。日射病の防止は帽子とイメージできるが、熱中症の場合は屋内の場合も多く防止となると水分補給や体調管理が重要と思われ、熱中症と帽子はあまり結び付かないのではないだろうか。更に子供たちの遊びはもっぱらゲームが主流で、かんかん照りの真夏には外で遊ばなくなったのだろう。
ここで視点を変えて人を守るという点では、子供たちを守るものが帽子であるならば、若者を守るものは、傘なのであろう。かなり強引な展開になってしまったが、精神的な攻撃からは帽子では不十分で傘ぐらいの大きさが必要ということなのかもしれない。陽水の場合は、白いカーネーションで書いたように母が傘になっていたようだ。