今日は「夢の中へ」について再考してみたい。私は中学生の頃に初めてこの曲を聞いてから50年経って、「夢の中へ」という言葉に今まで感じていたニュアンスとちょっと違うなと感じた瞬間があり、それがきっかけでこのブログを始めたのであるが、今回は「それより僕と踊りませんか」という部分に着目してみたい。
前回、「夢の中へ」の夢は、寝て見る夢のことではないかと書いた。歯科医である親父の後を継ぐべく歯科大を受験するも失敗し歌手になったわけであるが、そんな矢先に亡くなった親父にせめて夢の中ででも会って、「後を継げなくてすまん」「俺は歌手を目指すがいいだろう」と言いたかったのではないだろうかと。
ところで「踊る」に関連して「スニーカーダンサー」では次のように書いている。陽水がラジオ番組でビートルズについて「私は人前で踊るという気になかなかならないんですが、ビートルズが目の前で演奏していたら、きっと踊れるだろうなと思うぐらいの傾倒ぶりなんですよ」と。夢の中で親父と会うことはビートルズが目の前で演奏していることと同じくらい嬉しいことであると同時に歌手になることを喜んでくれていると思いたいのではと。その事を確かめたい一心で夢の中ででも会いたいと言いたいのではないだろうか。再デビューして最初の曲「人生が二度あれば」を聞いた親父は、「大変喜んでくれまして」とライブ盤「もどり道」で語っていることからも、その事が想像できる。
またコンサートで繰り返し歌っているのを聞くと歌手になろうとした原点を思い出し確認しているようにも見えるのである。なお踊るで思い出されるのは石川セリさんのために作った「ダンスは上手く踊れない」であるが、こちらは陽水が石川セリさんにゾッコンだったという証であろう。