今日は「Negative」について考えてみたい。1987/12アルバム「Negative」の主題歌である。これまでに何度か書いたように、1980年代は楽曲提供など他のミュージッシャンとの関係をあえて築こうとする姿勢が見られたが、中盤以降は「夏の終りのハーモニー」で語っていたように、そのような試みを積極的には行わないようにしようとしていたようだ。その結果誰にも頼らないでやって行こうとしていた1970年代の状況に戻って行ったのではないだろうか。ただ「氷の世界」は共作が数曲あるので、同じやりかたではないようだ。
「Negative 恋だけは感じないでね Negative 抱きもせず離れ合ってね」。他人との関係を意識的に遮断しようとしているようだ。「はぐれそうなこの街を 迷うようにさまよって」。ただ、一人でやって行こうとすることに多少の不安も感じている様子が見てとれる。「からみ合った恋人の名前は言わない あだ名も知らない 誰にも言わない」。これまで関わってきたミュージシャンのことは意識して忘れようとしているのだろう。
「Negative 夢までは信じないでね Negative 泣かないで愛し合ってね 沈みそうなこの夜を 逃げるようにつまづいて」。だからと言って、目指すべき明確な目標があるわけでもないので、どうしたらいいのか迷っていると。「空に浮かべて アラビアンな月 窓辺に流れて メロディアンな風」。いろいろ考えてもしょうがないので、今はぼんやりと空想でもしているしかないと。「曲りきった街角の曲りがヒドイネ ながめが悪いね とにかくスゴイネ」。先ほども言ったように1970年代と全く同じやり方ではダメではないかと感じていて、自分でもびっくりするような変化が必要だと思っているということか。「青い夜のどこかで別れあっても あなたと私の世界はミジメに 未来はかなたに 最後はサヨナラ」。他のミュージシャンとの関係を断つ以上、共作も含めて一切やらないことにしようと決めたのであるが、それ故直ぐに成果が出るとも思えないので、遠い未来を見つめているようだ。
しかしその成果として幼少期の楽しかった思い出を歌った「少年時代」が生まれたのである。1972/12に発売されたアルバム「陽水Ⅱセンチメンタル」に収録されている「夏まつり」も同じ状況を歌ったものであるが、「夏まつり」が、何をきっかけに幼少期を思い出しているのかが語られていないのに対して、「少年時代」では、夢で現れたことをきっかけとして思い出しているという、誰にでも訪れることで容易に想像できる日常の場面が描かれている。