今日は「この頃、妙だ」について考えてみたい。1983/12リリースのアルバム「バレリーナ」に収録されている。何かに追い立てられているようで、そのことばかりを考えていてそのことに取り憑かれているようだ。また曲のテンポがあまりに速く、陽水にしては珍しく詩の内容がはっきり聞き取れないほどである。更にリズムやメロディーもあるような無いような曲調が迫り来る何者かの執拗さに怯えてさえいる陽水の心情が吐露されている。
これまでに繰り返し述べてきたように1980年代に取り組んだ多くのミュージシャンへの楽曲提供のことなのだろう。様々な曲で表現されていることから、陽水にとって多大な苦痛と共にヒットメーカーへと変貌を促した出来事でもあったと思われる。前にも書いたが適当に受け流すことができない真面目な性格が作詞作曲の作業を一層ハードなものにしているのかもしれない。
「僕はなんだかこの頃とっても妙だ 二人きりでも一人になってるようだ」。楽曲を提供する相手はこんな雰囲気だからどんな詩でどんなメロディーでとかなんだかんだと考えていると隣に誰かいても、何時も独りぼっちでいるような感覚であると。「使いならした日本語も 覚えかけてた計算も 君のことまでそのうちに忘れそうだ」。日本語さえもそして簡単な計算さえも忘れてしまいそうな感覚であると。「Ah- 誰かさん」。楽曲を提供しようとする相手の名前を思わず叫んでいるのだろう。
「僕は絶対この頃とっても妙だ 医者にかかればおびえた子供のようだ」。医者からの病状の説明も耳に入らず聞き逃したことに不安になっているようだ。「ベルやチャイムや呼びリンや キスやダンスやおしゃべりが 僕を齧りに向ってきているようだ」。日常的でなにげない出来事に驚いている様子が面白く表現されていていかにも陽水らしい。「僕の気持をわかって ただ 僕のことなど忘れて」や「その訳はなにもせず そのままで ただ 待ってるだけのせいだ」。依頼する方は、こんな詩でこんな曲調でと言うだけなのだろうが、それに答えるためには、昼夜問わず四六時中そのことばかりに集中しなければならないこちらの身にもなってほしいと言っているのだろう。
提供した楽曲が話題になり次々とヒットすれば、陽水への期待がどんどん高まり、更に要求もエスカレートして行った状況が表現されている。同時に窮地に追い込まれれば追い込まれるほど益々才能を発揮できるタイプなのかも知れない。