今日は「バレリーナ」について考えてみたい。1983/12リリースのアルバム「バレリーナ」のタイトル曲である。これまでも何度か書いたが1980年代は山口百恵さんや中森明菜さん等の女性シンガーへ楽曲を提供していた時期であり、陽水からはそれらの女性シンガーの歌っている姿がバレリーナに見えていたようだ。その象徴的な出来事が夜のヒットスタジオで、ギターを弾いている陽水と玉置さんをバックに明菜さんが「飾りじゃないのよ涙は」を歌ったシーンではないだろうか。自信無さそうな佇まいの明菜さんが、歌い始めると同時に軽やかなステップと共に圧倒的な歌唱力を発揮している姿は、バレリーナそのものである。
「街から25kmの森のこかげに隠れて 指をくわえて待ってるあなたから どうぞ」。陽水にとって女性シンガーは、同じ音楽業界にいるにも関わらず、遠い存在のように感じていて、楽曲の出来上がりを指をくわえて待ってると表現している。「形もない湖のまわりで遊ぶ天使を 息をひそめて見ていた私から じゃーね」。表面的には天使のような佇まいでありながら、そんなものほしそうにされては、作ってあげようとする意欲もなくなるのであるがと。「斬新なパラソル 星影も 人影も 単純なカラフル いつまでもよろこんでいるバレリーナ」。斬新でカラフルな衣裳を着て楽しげにバレリーナのように踊っている少女達よ。
「しだいに変る未来の光を背中にうけて 月のムードに酔ってるあなたから どうぞ」。時代の変化を先取りしながら、そんな自分に酔いしれているようだ。「銀の刺繍のベールが空から落ちてくるのを 見上げたままで立ってる私から じゃーね」。楽曲を提供する相手がわかると途端に「いやだなー」と思ってしまうと。「街から25kmの森の芝生に眠って そっと自分をなくしたあなたには Good Bye」。自己主張もせず周りからのアドバイスに従ってばかりいては、自分を見失ってしまうよと。「遠くで山猫がほえ いろんな夜を飛びはね ねらいをつけた獲物は私だろう きっと」。いろいろな曲を歌ってきて、次に歌いたい曲としてねらいをつけたのが私なのですねと。
「My House」でも書いたが、女性シンガーへの楽曲提供は、陽水にとっては相当な苦痛を伴う作業だったことが伺われるが、それに敢えて取り組もうとする背景には、一般社会からの疎外感から抜け出したいという並々ならぬ決意があったのではないだろうか。