今日は「小さな手」について考えてみたい。1972/5アルバム「断絶」に収録されている。20代半ばまでの自分の人生を振り返っているようだ。後の1978/7にリリースされたアルバム「White」に収録されている「灰色の指先」でもじっと手を見ている状況が描かれていたが、その時は拘置所での生活で一般社会からの疎外感が激しかったことが原因だったようだが、「小さな手」では、特にデビューしても鳴かず飛ばずの状況だったことを表現しているのだろう。それにしても石川啄木の短歌「一握の砂」の一節「はたらけど・・・ぢつと手を見る」が陽水の脳裏をかすめていたのかもしれない。また「笑う」とは、「あざ笑う」ということであろう。「俺は何をやってもうまく行かないな」という気持ちか。 
「小さな手を見て思わず笑う私 小さなこの手で生きてた事を笑う 不幸はこの手でかかえられないし 幸せはこの手ではこぼれてしまう 小さな手」。全てがうまく行かなかったというこではなかったようだ。幸せだと感じたこともあったと言っているが、そんな時でもその幸せをつかみ取れず、取り逃してしまったということか。また不幸を感じた時は、その不幸を正面から受け入れられないため、逃げ腰になったことで新しい展開につながっていかなかったということのようだ。
「幼い手を見て私はいつも笑う 幼いこの手で恋した事を笑う あなたが私にさよならつげて 私のこの手は涙もふけない 幼い手」。恋愛についても経験が希薄で幼かったため、彼女の気持ちに寄り添うことが出来ず、なぜ離れていってしまったか理解できないままであると。この辺の状況は、「ゼンマイじかけのかぶとむし」でも語られている。「私のこの手は笑いをいつもさそう 笑いはいつでも悲しい事と同じ この手がすべてをなくしたように 私もすべてをなくしてゆくのね 小さな手 」。恋愛以外のことにおいても、いつも悲しい事が待ち受けていて、その結果、全てを失ってきたように感じていると。何事にも自信が持てないという自信喪失の状況で、悲しいメロディーと相まってその状況を更に強調しているようだ。
なお蛇足ではあるが、作家の伊集院静さんが陽水に対する印象を次のように語っている。ある時何かでね、「陽水さん、手大きいですね」と言ったら、あの人珍しく「手には自信あるんだよ」と。「比べたら、やっぱりね、一回り大きいんだよ。それはちょっと驚いたね。あれでギター弾いてってのはちょっとね。繊細な音楽とあの手ってのは、あのアンバランスがいいんだね」と。陽水は、自身の手の大きさに自信があったようだ。