今日は「娘がねじれる時」について考えてみたい。1978/8リリースの「なぜか上海」B面の曲である。この頃の陽水は、1976年の大麻による逮捕で執行猶予2年が科せられていたこと。また石川セリさんと再婚し、長男の准介さんが12月に生まれる予定になっていること。特に大麻による逮捕については、「迷走する町」でも書いたが、今後、歌手生活を続けられるかどうか相当な不安を抱いていたわけで、これらのことを考えると「この状況でもし娘がいたら」と想像しているのではないだろうか。しかし自身の置かれている状況を投影しているような記述は見当たらないので、B面の曲らしく娘が家出するような家庭の状況を想像し表現しているように感じられる。
曲全体からは娘に対して「すまない」というようなニュアンスはなく、むしろ娘は家出をきっかけとして大人になっていくのではないだろうかと言っているようだ。「勇気なら持ちなさい 得になるから、リンゴなら食べなさい 中の中まで」という箇所にそんなニュアンスが感じられる。また「なぜか上海」がワクワクするような未来を描いているのに対して、「そんなに浮かれていいのか」という自分に対する戒めの感情を表現したかったのではないだろうか。陽水は浮かれることが苦手なようだと前にも書いたように。
「娘には父親が5人も居たが 父親の会社には守衛も居ない」。娘は自分の父親が誰なのか分からない環境で育ち、また自分を助けてくれるような人も見あたらないと感じて家出したようだ。どうしてこのような曲が出来たのであろうか。「子供への唄」でも書いたように、陽水は子供好きな側面があり、もう直ぐ生まれてくるであろう長男のことを思いながら娘の誕生も想像していたのではないだろうか。