今日は「チエちゃん」について考えてみたい。1973/12にリリースされたアルバム「氷の世界」に収録されている。
「チエちゃん」とは、童謡「赤い靴」に出てくる赤い靴をはいた女の子のことではないかと思われる。というのも以下の繋がりから連想されるからである。一つ目は、この女の子のお母さんが、娘が既に亡くなっていたことも知らずに、「きみちゃん、ごめんね。」と言って亡くなったのが1948年であること。きみちゃんとは赤い靴の女の子の名前であり、1948年は陽水が生まれた年である。
二つ目は、 きみちゃんには妹さんがいて、その妹さんが「野口雨情の赤い靴に書かれた女の子は、まだ会った事も無い私の姉です。」という新聞の夕刊への投稿記事がきっかけで、この物語が知られるようになったのだが、その記事が投稿されたのが1973/11で、アルバム「氷の世界」発売の直前であること。以上の関連する点と、何よりもこの女の子の名前「きみちゃん」とタイトル「チエちゃん」の響きが非常に似通っていると感じられるからである。
このとても悲しい物語を陽水は、「ひまわり模様の飛行機にのり 夏の日にあの娘は行ってしまった」と表現している。悲しいままで終わらせたくないというやさしさが溢れている歌詞になっていると共に、悲しさがあまり感じられないメロディーで歌っている。「誰にも『さよなら』言わないままで 誰にも見送られずに」。赤い靴のきみちゃんは、当時不治の病とされていた結核に侵されてしまい、船旅での渡航ができないため、やむなく麻布十番の鳥居坂教会の孤児院に預けられてしまい、そして3年間の闘病生活の末、9才というあまりにも短い生涯を終えたと伝えられている。
「ひとりで空へ まぶしい空へ 消えてしまった」「 さみしい気持になった時には むこうの海岸で水着になって お日様に体を見せつけてやれ言葉を越えているはずだ むこうの海の水もつめたいばかりじゃないだろ」「 見知らぬ町から遠くの町へ 何かを見つけて戻ってくるの? それともどこかに住みついたまま 帰ってこないつもりなの?」。涙を浮かべながら、曲を作っている陽水の姿が目に浮かぶようだ。 
最後に私事ではありますが、この時期になると喪中の葉書が届きます。若い頃の同僚で結婚式にも出席し、私より一回り以上も若いくせに、そんな女性の葉書でした。チエちゃんとだぶり若い頃を思い出しております。