今日は「子供への唄」について、考えてみたい。
私事ではあるが今年、長男に男の子が生まれ、長女も子供ができたという知らせを受け、あらためてこの曲を何度も聞き返していると、陽水の子供に対する想いが伝わってくる。「かんかん照り」で語っていたように、戦争で犠牲になった人々の中でも、特に子供の犠牲に心を痛めていたのが分かる。陽水の子供との関わりで言えば 長男の准介さんが産まれた翌年1979年に行ったコンサートで「信じられない話かもしれませんけれど、5年前に作った唄を歌います」と言って歌ったのが「子供への唄」であることからも、強い想いが感じられる。「氷の世界」によって時代の寵児になったことで、子供の事を考えるゆとりができたのであろう。
「この子はいくつで 幸せになるのだろう」「この子はどこで 幸せになるのだろう」「この子は誰と 幸せになるのだろう」「この子は誰を 幸せに出来るだろう」と子供の幸せを一途に願う親の心境が述べられている。親ならみんな願っている姿である。また「産まれたばかりの 目で何を見ているの」「何よりも小さな 手のひらをにぎりしめ」「生まれたばかりの 胸は何を感じた」と未だ見ぬ我が子を優しく見守る姿が述べられている。
ちょっと話が私事に戻ってしまうが、自分の若い頃を振り返えってみると、子供が成長するにつれて、子供への期待が膨らんできて、 無事に産まれてきて良かったとか、また一途に子供の幸せを望むといった、言わば親爺になった初心の喜びを忘れていることに気づかされた。その頃は、子供を育てるのに精一杯で全く余裕がなかったのかもしれない。今は立場も変わってゆったりした気持ちで考えられているようだ。子供が生まれてくることのすばらしさを再認識できた陽水の唄に感謝したいと思う。