今日は、「限りない欲望」について考察してみたい。
1972/5発売の初アルバム「断絶」に収録されている。陽水にしては珍しく、タイトルと歌詞の内容がストレートに伝わってくる曲である。
時代は大量消費時代に突入し、日本の高度成長と共に次から次へと新しい製品が生まれ、消費者もそれに直ぐ飛びつき、古い物はどんどん捨てられていく。そんな時代に警笛を鳴らしているのだろう。この時代、既に日本は、光化学スモッグによる大気汚染や工場から垂れ流された有害物質による水俣病などの公害が社会問題となっていた。
「子供の時欲しかった 白い靴、母にねだり手に入れた 白い靴 いつでもそれを どこでもそれを はいていた ある日僕はおつかいに町へ出て 靴屋さんの前を見て立ち止まった すてきな靴が飾ってあった 青い靴」。気に入って買ってもらった新しい靴を履いているのに、直ぐ別の靴がほしくなるという行為は、気に入ったという自分の気持ちを踏みにじった行為であり、自分の気持ちに責任を持ち、もっと大切にしようよと言いたいのだろう。しかしそんな押し付けがましいことまでは言わないのが陽水である。この最後まで言わないという姿勢は、曲のタイトルにも見受けられる。「人生が二度あれば」や「いつのまにか少女は」などである。また、陽水に対する印象を、「彼は全部しゃべらない。特に野暮になるようなところまでは行かない。抑制がきいていて気持ちがいい。」と、作家の黒鉄ヒロシさんが語っている。
「僕が20才になった時君に会い 君が僕のすべてだと思ってた すてきな君を欲しいと思い求めていた 君と僕が教会で結ばれて 指輪かわす君の指 その指が なんだか僕は見飽きたようで いやになる」。そして自分の気持ちを大事にしない行為を続けていると、今度は好きになった彼女までも直ぐ嫌になってしまうということが起こるのではないかと心配しているようだ。