今日は、「夕立」について考えてみたい。
まるでコロナで疲弊していた頃の状況を歌っているようだ。「計画は全部中止だ 楽しみはみんな忘れろ 嘘じゃないぞ 夕立だぞ 家にいてだまっているんだ 夏が終わるまで」と叫んでいる。
状況描写がコロナ禍とあまりにぴったる来る曲であるが、一番注目したいのは、みんなが困っている状況でも、喜んでいる「カエル」の存在である。「カエルはうれし泣きをしている」である。
たくさんの人が死んでいく戦争でも、死の商人と言われる武器製造業者は、潤い喜んでいるはずである。コロナが蔓延しても、過去最高益を出している企業もある。カエルは人間にとって害を与えるどころか、むしろウエルカムなかわいい存在である。しかし、そういう一見やさしそうなもの程、実は裏で何をしているか分からないんだぞと警告しているのかも知れない。一見不良っぽい人の方がわかりやすいが、それに比べて無害そうにみえる人に気をつけろということか。 
また、この曲は1974/10にリリースされたアルバム「二色の独楽」に収録されている。再デビューしてから2年余り、既に絶大な人気を得ていた頃である。
「夕立 そこまで来ている 雷ゴロゴロ ピカピカ 情容赦ないみたいだ」とは、自分の人気も直ぐに下火になるかもしれないということか。「カエルはうれしなきをしてる」とは、自分を応援している素振りをみせて一見優しそうな人が、心の底では、自分の人気が下火になることを喜んでいるかも知れないということか。「洗濯ものがぬれるから 女はひきつった顔で わめきまわる ころびまわる 男はどうした事かと 立ちつくすだけ」とは、もしそうなったら、周囲はこうしろあうしろといろいろ 言うだろうけど俺はただ立ち尽くしているだけなんだろうということか。「ぬかるみに はまったバスには 乗客ひしめきあってる 抜け出せない 立往生 旅人 荷物をかばって体がぬれる 強い雨がみんなを襲う」とは、自分が立ち尽くしているだけだから、レコード会社やスタッフ全てが、巻き込まれるだろうと心配になってくるということか。
「計画は全部中止だ 楽しみはみんな忘れろ 嘘じゃないぞ 夕立だぞ 家に居て黙っているんだ 夏が終るまで 君の事もずっとおあずけ」。新しいアルバムの制作も保留になるだろうし、コンサートも中止になるだろうということを表現しているようだが、その状態を必ずしも悲観しているようには感じられない。むしろ、そうなったらそうなったで、その状況を受け入れようとする力強いメロディーと歌い方であるのが面白い。急上昇があれば突然土砂降りに襲われるかも知れないという自分への戒めなのだろう。