今日は「夢の中へ」について考えてみたい。

この曲を聞いて、何故最後に「夢の中へ 夢の中へ」と叫んでいるのだろうという疑問である。曲調全体からの印象は、例えば有名大学への入学やJリーガーになりたいと頑張っている青年、また例えばアナウンサーや保母さんになりたいと願っている少女に対して、「そんなに頑張らなくてもいいんじゃない。もっと楽しいことやったら。」という感じを受ける。

まず注目したいのが「夢」という言葉である。夢には2つの意味があって、一つ目は寝て見る夢、と二つ目は将来の目標というか希望としての夢である。元々の日本語には、二つ目の意味はなかったらしいが、英語のドリームを夢と訳したことから、ドリームが元々持っていた二つ目の意味を、日本語の夢も持つようになったらしい。

陽水はどちらの意味で夢という言葉を使っているのだろう。

まず「夢の中へ」というタイトルでは「中へ」であるから、一つ目の寝て見る夢の意味が、若干優勢かなという印象である。

この曲で陽水が語りたかったことを想像するためには、この曲を発表した1973年3月までの陽水の軌跡を見る必要がある。1960年代に親父の歯医者を継ぐべく、九州歯科大学を三度受験するも三度とも失敗し親父の後を継ぐのを諦め歌手になる。歯医者を継げなかったことで、親父に対して「すまない」という後悔の念は持ち続けていたことは容易に想像できる。再デビューして最初の曲「人生が二度あれば」を聞いた親父は、「大変喜んでくれまして。」と同時に息子はもう後を継ぐ気がないから、福岡で開業していた歯医者を畳んで、生まれ故郷の高知県に戻ろう」と思い戻った。しかし高知県に戻った直後に脳梗塞で倒れた。とライブ盤「もどり道」で語っている。1972年6月の出来事である。親父が倒れた知らせを受けて、急いで高知へ向かう列車から見た風景をうたった曲が「帰郷」である。「喉に血吐見せて 狂い泣く あわれ あわれ 山のホトトギス」とは、まさしくその時の陽水の心境そのものである。親父に対して「歯医者を継げなくてすまない」という感情と「もしかしたら、俺がデビューすることがきっかけで親父が死んでしまったのでは」という感情が陽水にあったのではと想像できる。もし夢の中への夢が「寝て見る夢」という意味だったらどうであろう。夢の中ででも会って、「親父、すまん」と言いたかったのではないかと。陽水として再出発して最初の曲である「人生が二度あれば」で,ほとんど泣きながら歌っていて、そのことからも両親に対する強い思いが伝わってくる。でも男として、夢の中ででも会いたいなどと女々しいことは言いたくない。「夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか」という歌詞は、きっと自身の今の親父に対する心情そのものではなかったかと。