モリカケ・桜見る会に代表される公文書の改ざんと黒塗り公開、偽証、隠ぺいと国家行政のデーター改ざん。

これらが安倍政権の産物のように言われているが、企業などの製品規定基準改ざんなどが数十年に渡って続けられていたことが発覚し事例も数々ある。

 旧統一教会と政党の関係の報道の中に、「ある時期から安倍氏が、関係を隠さなくなった」というのがある。

この状況が現在日本社会の本質的傾向ではないか。

つまり、安倍以前から嘘と隠ぺいで国家と企業活動が成り立っていて、安倍氏はそのことを熟知していて嘘と隠ぺいを貫徹したとみることもできる。

「隠す必要が無くなった」ので「隠さなくなった」ということなのだ。

「嘘と隠ぺい容認社会」が今の日本社会の実態だ。

堂々と嘘をつき、権力におもねり、改ざん隠ぺいを行い、心ある公務員は自責で自死してしまう。

記録となるファイルの存在にもかかわらず、自死の実態を解明しない検察と司法。

嘘・隠ぺいと分かっていても「法治国家」と言う言葉を盾に「証拠がない」などと居直り検察も司法も機能停止である。

「嘘と隠ぺいの必要がない」と思うのは安部氏だけだろうか。

そもそも、証拠は「探すもの」。「疑わしい」と言う声があれば「捜査」するもの。

それが、市民の「法治国家」認識だろう。

法権力に守られた「行政権力の嘘と隠ぺい」の日本社会の将来の姿は想像に難くないのだが。